アメリカ旅日記(CONPT−TOUR’99)
1999.6.6〜6.18
6月6日
初日。初の海外旅行で13時間の飛行はきついなと思っていたが、着いてみるとそれほどでもない。しかし、エコノミークラスで座席が狭いのには閉口した。あれでは国内便と変わらない。アングロサクソンには相当つらいのではないか。乗るとすぐ時計をニューヨーク時間に会わせ、時差ボケ防止をはかろうとしたが、あまり意味はなかったようだ、というのもほとんど寝ていたからだ。最初のもくろみでは、乗ると同時に寝て、最初の食事の後ずっと起きているつもりだったのだが、すぐに眠くなってしまう。機内を真っ暗にされたのも影響したのか。皆が寝てしまってから、この日の為に用意したMDウォークマンで暇つぶしをしようとしたが、聴いてると眠くてしょうがない。食べ物や飲み物に眠り薬でも入っているのではないか、と疑ってしまったくらいだ。という訳で、寝たり起きたりしているうちにニューヨークに着いた。トイレは3回行ったか。国際線(ユナイテッド航空)だけあってスチュワーデスも色々な国の人がいた。が、日本人のスチュワーデスも二人いて、他と比べてもこの二人の方が美人だったと思う。全てブロンドが一番という訳ではない。機内食は3回出たが、妙な物ばかりで、カップうどんが出たのには驚いた。さらに驚いたことは、自分がほとんど食べてしまったことだ。意外だ。大してうまい物ではなかったのに。
ニューヨークには夕方4時過ぎに着いた。暑い。結構ムッとする。入国審査の時、変なおじさんがいて、「こんにちは」とか「ようこそ」などと日本語で喋る。「Hello」とか「Yes」とか英語で答えると、「こんにちは」「はい」と訂正される。最後に「問題なーい」とパスポートにペタペタスタンプを押して返してくれた。第一関門突破。トランクがなかなか出て来なくて少々焦ったが、無事に受け取ることができ、外に出て最初にしたのはスモーカーが集まって一服。13時間吸っていなかったので、クラクラした。それにしても、JFK空港、案外ショボいなという印象。全部見た訳ではないが。しかし、アメリカに来たという実感がどうも薄い。車も日本車みたいなのが多いし、ビルだって日本のと大して変わらない。標識や看板はすべて英語だが、これも日本にも横文字が多いので別に違和感はない。要するにすべてJTB任せのお気楽ツアーだから、大変な思いを何もしていないのだ。やはり苦労しないと達成感がない。
ホテルはマンハッタンのヒルトンアンドタワーズという所で、なかなか良い部屋だ。ツインなので驚いたが、皆そうらしい。自分の部屋は喫煙OKだが、中にはスモーカーなのに禁煙室をあてがわれてしまった人もいるらしい。気の毒なので、よかったら吸いにいらっしゃいよ、と言ってあげた。来なかったが。
夜、近くの店で全員で夕食。ここがまたアメリカンスタイルの店で、いかにも映画に出てきそうな感じ。夕食の後、シェアスタジアムへメッツvsヤンキースの試合を見に行った人もいたようだが、我々のテーブルの7人はエンパイアステートビルへ行こうと無謀なことを言い出し、実行 に移した。行きはタクシー、帰りは地下鉄と初日から大冒険だ。最初はバスで行こうとしたのだ が、コインじゃなきゃダメ、と断られてしまったので、タクシーにした。4ドル60セント、5ドル出し てつりはなし。考えてみたら、チップとしては少ないのでは。エンパイアステートの展望台は素晴らしかった。でも夜景は最高だったが、売店は東京タワーと大して変わらない。ミニチュアのエンパイアステートビルとか絵葉書とかを売っていた。日本人も多かった。エレベーターのアナウンスで「ようこそいらっしゃいました」と日本語でも喋っていたが、これだけ日本人が多いのなら、当然か。我々も丁度そこにいた日本人のカップルに写真を撮ってもらった。ニューヨークの地下鉄は聞いていたように、小便臭い。人が少なかったせいか、怖い思いはしなかった。地下鉄の中でヤンキーの女の子と目があったら、ニッコリと微笑んでくれた。さすがアメリカ、フレンドリーだ。
翌日はナイアガラ観光で朝6:00出発なので、帰ってからすぐ寝た。風呂が少々使いづらい。シャワーが高いせいだ。
6月7日
5時起きだったが、あまり寝つかれず、夜中に2〜3回目を覚ましてしまった。昼間寝過ぎたせいか、それともプレッシャーか。
朝食の弁当を渡され、バスに乗ってニューアーク空港へ。8:00頃の飛行機に乗るはずだったが、遅れに遅れ、結局11:30過ぎになってしまった。ナイアガラ観光ツアーは毎年トラブルが発生するのだそうだ。バッファロー空港からバスでいよいよナイアガラへ。ここはカナダとの国境ということで、パスポートを見せて入国審査を受けた。バスの中からちらほらと見える霧(水しぶき)がすごい。まず、ホテルのレストランで食事をし、そこから滝を眺めたが、見事というほかない。ニューヨークと違い人工的な街てはない、大自然の産物であるだけに、よけい感動する。ナイアガラを見て、初めて外国に来たという実感がわいた。そしていよいよカッパを着て、遊覧船に乗り込み、滝を近くで見る。すごいしぶきで雨が降っているかのよう。カメラがぬれるのでここでは写真は撮らなかったが、たとえ撮っても白いだけだったかも。でも、その他の場所で可能な限り写真を撮った。フィルム3本使ってしまった。とにかく、どこから見てもすごい、美しい。もっと見たかった。また来たいと思う。滝の近くのホテルに泊まって、2〜3日滝を見て過ごすのも良いのではないかと思う。
帰りに土産物屋に寄って、いくつかカナダ名産を買った。皆ビーフジャーキーとかを買っていたが、自分はカエデのブローチとかにしておいた。ビーフジャーキーは好きじゃない。
帰りの飛行機がまた遅れ、出発したのは夜9時だった。ニューアークに着いてから一時間以上飛行機から出してもらえず(ゲートが開かなかったらしい)、結局ホテルへ戻ったのは12時だった。トラブル続きで長い一日となった。明日は午前中自由行動なのでゆっくり寝る。

6月8日
午後ニューヨークタイムズ社の見学があった。午前中は自由行動で、前日の疲れもあり、ゆっくり寝ていたら朝食をすませた頃には9時になっていた。早起きして自由の女神を見に行った人もいるそうで、皆精力的だ。こちらはまだ3日目なのに、もうぐったりしている。5番街でも 散歩しようかと外へ出たら、無茶苦茶暑かったので、すぐホテルに帰ってきてしまった。もっとも5番街には自分が暇をつぶせるような所はなく、ディズニーショップとかに入ってみたが、5分で出てきてしまった。別にすることもないので、フロントで日本にEメールを送りたいのだが、と尋ねてみたらパソコンを貸してくれるというので、野尻さん、富田さん、桝井さんと自分に訳わからん英語でメールを入れた。受け取った方も訳わからんで迷惑だったろう。それよりちゃんと届いたのだろうか。ツアーで一緒の三崎さんという人がパソコン持って来てるそうで、メールを送るだけなら貸してあげる、と後で言っていたが、会社のものらしいし、悪いような気がする。ちなみに、ホテルでパソコン借りたら13ドルかかった。
午後ニューヨークタイムズ見学。上流の話ばかりだったので、よく分からなかった。時間も短かった(2時間)。本気で研修するなら、もっと時間をとった方が良い。見学終了後、移動の為空港へ行くが、途中でウォーターフロントを再開発したPIER16という所に寄った。倉庫か何かを改造して、ショッピングセンターやレストランにした所らしいが、観光客向けというより一般市民向けで、レストランといってもアメリカンフードばかりで、アメリカへ来たらこういう物を食べなきゃ、という店が並んでいた。自分はピザを食べたが、イタリアンと違ってアメリカの味で感動した。それから空港(またJFK)に着いて手続きしたら、また飛行機が一時間遅れた。が、皆前日の経験もあり、慣れてしまってイライラしている人もいなかった。結局、クリーブランドに着いたのが夜10:00頃。その後、レストランで食事をしたが、ここはなかなか良かった。その店でインディアンズのホームゲームの券はすべて売り切れていると聞いた。明日、見に行こうと話していたので、大丈夫だろうか。結局、ホテルに着いたのは12:00過ぎ。明日はまた早起きしなければ。
6月9日
ニュースジャーナル社の見学にマンスフィールドまで行くので、6時過ぎに起きた。モーニングコールは6:30とのことだったが鳴らなかった。連絡ミスだったらしい。ベーコン、ソーセージ、卵料理にパン、コーヒーといういかにもアメリカンな朝食(これ、結構気に入っている)をすませて、8時頃ホテルをバスで出発した。出発前、ツアーメンバーの名取さんが、インディアンズの試合の切符が手に入るかもしれない、と言っていた。ホテルのドアボーイが用意してやると言ったらしい。自分の分も頼んでおいた。
見学は相変わらず時間が短い。今度は発送場まで見せてもらえたが、カメラを控え室に忘れてきて写真が撮れなかった。部長に叱られそう。
昼、モヒカンリゾートという所のレストランで食事。モヒカンがインディアンの種族の名前だと知らない人が結構いて驚いた。モヒカン刈りという言葉も意味も知らず使っていたらしい。
インディアンズの試合の券、取れたらしい。結局50ドルということで、ホテルに戻ってから名取さんに払った。試合を見に行く人は6:30にロビー集合ということで、2時間程時間があったので、ロックンロール・ホール・オブ・フェイムに大胆にも一人で行った。要するに有名ミュージシャンのパネルとかゆかりの品とかを並べている所なのだが、結構楽しめた。「イッツ・オンリー・ロックンロール・シネマ」というのも見てきた。字幕が出ないので、意味が分からない所もあったが。しかし、ロックの博物館など日本にはないので、見ていて損はないだろう。売店でマグ カップとTシャツを買ってしまった。マグカップは一個森井君にあげよう。
夜、インディアンズvsブリューワーズの試合を見た。すごい人だった。ブリューワーズの先発はあのアボットで、内心応援していたのだが、5回でノックアウトされてしまった(あとで聞いた ら、アボットを応援してた人は結構いたらしい)。観客は老いも若きも皆楽しそうだ。試合そのものは大したことなかったが、雰囲気はすごく良かった。選手も張り合いがあるだろう。
明日は9:00出発なので、ゆっくり寝られそうだ。ただ、午後飛行機を乗り継いでサンフランシスコへ移動なので、かなりきつそう。
6月10日
午前中プレーンディーラー社見学。こちらは、上流から下流まで一通り見せてもらえたが、どうも発送場は見たことがあるような気がする。何年か前に誰かがやはりCONPT−TOURに参加して、ビデオに撮ってきたのではないか。5年程前に工場を新しくしたそうなので、その直後ではないかと思われる。写真を撮っていたら、フィルムがなくなってしまい、十分に撮れなかった。残念。またフィルムを買わねば。
この日の昼食は「Shuhei」なる日本料理レストランで、トンカツを食べた。皆、トンカツよりも漬け物と味噌汁に感激していた。この後、空港へ向かったが、途中クリーブランドの住宅街を見て回った。大きな家の前に広い庭があり、庭師が芝を刈っている(5p以上伸びると罰金だそうだ)という、とてもアメリカ的な光景だった。ガイドさんの話だと、通りから家が見えるのはそれほど金持ちではないのだそうだ。土地、家合わせて3000万円〜7000万円位らしい。皆、手が出なくはない、という顔をしていた。確かにこんな家に住んでみたいと思う。
デンバー経由でサンフランシスコへ移動するが、毎度のことながら、まずクリーブランドで飛行機が遅れ、ずれ込んでデンバーでも遅れて、トータルで3時間程遅れてサンフランシスコに着いた。デンバーからサンフランシスコへ行く便に日本語を話すスチュワーデスがいたが、なんと、元阪神や南海の監督だったブレイザーの娘で、16年間日本にいたそうだ。そういえばブレイザーは今何をしているのだろう。びっくりして聞くのも忘れた。
サンフランシスコは、異常な暑さだったニューヨークやクリーブランドに比べると、寒いくらいだったが、この時期はこれが普通なんだそうだ。しかし、クリーブランドとの時差がマイナス3時間と聞いていたので、日本との時差は縮まるのかと思ったら、逆に広がっていた。何だかよく分からん。地理的にもサンフランシスコの方が日本に近いのに。
ホテルに着いたら、鍵が開かなかったり、トランクが到着していなかったりと、小さなトラブル続きだった。今まで順調だったから丁度いいのかも。とにかく、連日初めて経験することばかりで、一日がすごく長く感じる。あと一週間ツアーが続くとは....。
国際電話で日本に電話してみた。携帯にもかけられると聞いたので、YUKOに電話したら、やはり出なかった。家に電話したら、音声がとてもクリアなのに驚いた。
明日は見学が2社で、またまたきつそうだ。
6月11日
6時起きで、食事をすませ、午前中はナイト・リッダー社の見学。サンフランシスコ郊外のサ ンノゼという町にある。このサンノゼは歌でも有名な所で、行ってみたらやはりアメリカの田舎町という感じ。マンスフィールドといい、このサンノゼといい、大都市より自分にとってはアメリカらしくて良い。ナイト・リッダーでは、新聞にかわる新しいメディアとして、インターネットへの移行を進めているそうで、見学に行ってもその話ばかりだった。これは、全米的な傾向だそうで、 日本もいずれはそうなるのか。アメリカとは比較にならない部数を持つ新聞もあるし、簡単には行かないような気がする。
昼食は中華料理だったが、大したことはなかった。午後も見学ということで、ビールはなし。当然。ただ、代わりに出てきたアイスティーが無茶苦茶甘かった。
午後のサンマイクロシステムズでは、見学者用の部屋が用意してあって(ブリーフィング・ルームというらしい)、同時通訳もいて、至れり尽くせりの印象。内容はインネットの現状と今後についての話ばかりだった。たくさんお土産を貰った。途中、我慢できなくなってトイレへ行ったりしてたので、申し訳ない気分。休憩を入れなくてすみません、と逆にあちらの人に言われてしまった。
夜、ツアーは半分消化したとのことで、全員で夕食。ロブスターレストランで、でっかいエビが出て、半分しか食べられなかった。席上、明日オークランドへアスレチックスの試合を見に行こうという話が出て、当然のった。2試合も見れるとはありがたい。夕食の帰り、希望者は××××××××寄った。佐々木さんが、前日××××××××聞いてて、妙に×××××××結局自分も×××××。×××××××××なら十分か。4〜5人の女の子に×××××××(××××××くれるのだそうだ)が、×××××××分からないし、××××××かった。××××、そんなに×××××××××ので、××××残念。
ホテルに戻って、フロント横のバーで皆さんにつき合って飲んでから部屋に帰った。中島さんが、ビデオが見れないと言っていたので、部屋で試してみたら見れたので、電話でやり方を教えてあげたが、どうもうまくいかなかったらしい。
6月12日
疲れているのかどうか、アメリカへ来て以来毎日1〜2回は大便が出る。どういう訳だ。
今日は午後からアスレチックスvsドジャースの試合を見に行く予定だったが、午前中は暇で、田辺さんと部屋で話し込んでいた。彼も教育実習経験者とは驚きだ。
その田辺さんと井上さんと鈴木さんと4人でBARTという鉄道に乗って、サンフランシスコ対岸のオークランドまで行って試合を見た。8回終了まで4対2でアスレチックスがリードしていた。外野の上の方の席で、天気も良く、非常に気持ちよく試合を見ることが出来た。行き帰りに変な兄ちゃんが、この電車に乗れとか教えてくれて助かった。
ホテルに一旦戻ってから、うっかり寝込んでしまい、ディナーナイトの集合時間に遅れてしまった。やばい。ディナーはリブステーキでなかなかうまかった。その後、夜景を見た。噂通りいい眺めだった。一応、写真を撮ったが、フラッシュをたいたので多分よく撮れてないだろうと思われる。
夜、部屋でFMを聴いていたら懐かしのディスコヒットがたくさん流れていた。今、気がついたが、マライア・キャリーの「Emotions」はエモーションズの「Best Of My Love」を下敷き にしたのではないか。タイトルも駄洒落っぽい。
6月13日
朝は9:40ロビー集合と、のんびりしたものだった。荷物回収が8:00というのは妙に早いような気がしたが。
今日はラスベガスへ移動する。いつものことながら飛行機が一時間程遅れた。空港で空き時間が出来たので、カレーうどんを食べた。味はまあまあ、じゃがいもがすごくでかかった。肉はたっぷり入っていた。しかし、二週間程のアメリカ旅行なので、現地のものだけを食べようと決めていたが、日本食のスタンドがあるとそっちへ行ってしまう。アメリカの食べ物にかなり辟易しているらしい。そういえば、お気に入りのアメリカンモーニングメニューも今朝は食べる気がしなかった(食べたが)。やはり飽きてしまったか。
飛行機の中で日本のスポーツ新聞を読んだ。中日は6月に入ってから2つしか勝っておらず、5連敗などしている。セ・リーグは1位から6位まで3ゲーム差だそうで、面白くなってはいるのだが、最終的に中日は優勝出来るのか。しかし、アメリカで日本のプロ野球ことなど考えてどうする。
ラスベガスに着いたら、トラブル続き。まず団長の原さんのトランクが行方不明。続いて、ホテルに着いたらすぐ記念撮影をするとのことだったが、待たされた揚げ句あちこち引きずり回された。その後、ブリーフィングをするとのことで、ホテルのミーティングルームへ連れていかれたが、その際広いホテルの端から端へ移動させられた。その上、鍵を受け取って部屋へ行ってみたら、禁煙室にされていた。鍵が開かなかった人も大勢いたようだ。夜のナイトショーとイルミネーション観光も迫っていて、それだけですっかり疲れてしまった。おまけに暑い。
ナイトショーは食事をして、そのあとショーを見るのだが、そのショーがラインダンス、曲芸、手品などを中心としたもので、とても良かったのだが、こういう昔ながらのショーがまだある、ということが不思議に思えた。アメリカ人も意外と保守的だ。でも、おそらくラスベガスでないと見れないのだろう。
とにかく、このラスベガス、変な町だ。とにかく建物のデザインとネオンがケバい。巨大な電飾ギターやスフィンクスやペルシャの王宮や海賊船や、普通の町なら恥ずかしくて作れないような外見のホテルやカジノがずらりと並んでいる。まさしく砂漠の蜃気楼、もしくは白日夢か。名古屋城そっくりのホテルがあっても不思議ではない。とにかく、虚構の町という感じ。
イルミネーション観光で、火山の噴火や海賊船vsイギリス船といったアトラクションを見た。とにかく派手、言葉もない。最後のアーケードショーはとても良かった。でも、疲れていたので感動は薄かった。
ホテルに戻って、飲み物を買おうと皆で売店のレジに並んでいたら(ここのホテルはミニバーがないのだ)、安達さんが「全員目が死んでる」と言っていた。まさしくその通りだったろう。
6月14日
今日はNEXPO’99の初日。午前中色々と見てきた。片言の英語であちこちのブースでカタログを貰ったりした。少しでも通じると何か楽しい。展示物については、これといったものはな かったように思われる。発送システムの新ネタなど、アメリカでも尽きているのだろう。
午後、後藤さんと免税店に行って土産を買った。馬場次長に頼まれた葉巻も買った。でも、アメリカ土産といっても大したものはない。が、土産の心配は終わった。免税店だけに日本人ばかりだった。店の外で見かけた女の子は胸に「SEX」と書いたTシャツを着ていた。何考えてんだか。
夕方、田辺さんに教えてもらってカジノでスロットマシンに挑戦。40ドルすった。こんなもんか。今日は朝ゆっくり寝れたし、昼寝もしたし、久々にのんびりした。しかし、明日のグランドキャニオン観光は5時起きだ。やれやれ。
6月15日
5時に起き、グランドキャニオンへ。これは今回のツアーで最も楽しみにしていた企画だったので、張り切って出かけていった。ラスベガスからセスナで飛ぶ、ということで、飛行場で我々は二組に分かれて、別々のセスナに乗ることになった。これがあとで笑い話の発端となる。体重を計ったら、50数キロと出て、そんなに痩せる訳がないと思ったら、キロではなくポンドなのだそうだ。この場を仕切っていたアメリカ人の兄ちゃんが変な日本語を使っていた。日本人ばかり相手にしているので、自然に覚えてしまったのだろう。
いざセスナに乗る前になぜか記念撮影。パイロットと一緒。この写真はあとで気に入ったら、15ドルで買うのだそうだ。
セスナは狭く暑かった。ヘッドホンで日本語の案内を聞きながらの飛行。自分の席は窓の位置が悪く、外がよく見えなかったのが残念だった。帰りはもっと良い席を取ろう。
で、グランドキャニオンだが素晴らしいの一言。案内でも言っていたが、まさに大自然のマジック。しばらく眺めていても飽きなかった。それだけにガイド付きのあわただしい観光は気に入らない。3ヶ所の展望スポットを回ったのだが、各々20分位しか見られず、非常に欲求不満であった。急いで写真を撮るだけに終始してしまった。以前ツアーで北海道へ行った時も思ったが、もっとゆっくり見たかった。で、その写真だが、やはり肉眼で見るものにはかなわないと思う。YUKOがグランドキャニオンの写真を見せて欲しいと言っていたが、実物のすごさが伝わるかどうかは疑問だ。
観光スポットを回った後、かなり早い昼食をとった。この時になって、我々のもう一組は一体どこへ行ったのか、というのが話題になり始めた。結論からいくと、なんとエンジントラブルでセスナが飛ばず、キャンセルになっていたのだった。道理で顔を合わせない訳だ。そういえば、バスの中でガイドが一機キャンセルになって、添乗員が申し訳ないと言ってる、なんてことを言っていたがまさかCONPTのことだとは思わなかった。同じバスによそのツアーの人達もいたので、てっきりそちらの話だと思っていたのだ。あとで大笑いしてしまった。
結局、キャンセル組は翌日また5時起きでグランドキャニオンへ行くそうだ。13:30頃には戻って来れるので、3時からの研修会には間に合うだろう。
帰りのセスナでは、前方のいい席をゲットしたが、ほとんど寝てしまったので景色も何もなかった。
ホテルに戻ってきてから、田辺さん、後藤さん、北井さんとアウトレットの店へ行った。皆、買 い物が好きだ。自分は見てるだけだった。Tシャツとかマグカップとかしょうもないものが欲しくなってしまったが、我慢した。
夕方、メーカーのみ(西尾さん、井上さん、堀越さん、久能さん、北井さん、井俣さん、佐々木さん、田辺さん、後藤さん、そして自分、総勢10名)で飲みに行った。「BARRY’S」というホテル&カジノの「寿司一番」という店だが、冷や奴やらししゃもやら、日本の居酒屋で飲んでるような感じだった。この店にも日本人が働いていて、日本人があちこちに大勢いるな、と思う。日本にいるよりいいのだろうか。
寝る前に、またスロットをやった。20ドルなくなった所でやめた。通算60ドルの負け。また可愛いものか。そういえば、手持ちのドルが少なくなってしまったので、80ドル程両替した。思い出してみたが、50ドルばかり使途不明金がある。どうなってるのやら。

6月16日
午前中は暇だったので、もう一度NEXPO’99へ出かけた。NEXPOTシャツを売ってる、と聞いたので探してみたが見つからなかった。展示会は一応しっかりと見て、カタログも貰って来たはずだが、細かい所を案外覚えてなかったりするので、不安だ(例えば、GMAのインサーターラインは何種類中入れ出来るようになっていたか、等々)。
午後、研修会をやった。池谷さん、小田さん、楠本さんの3人が講師として発表した。大変そうだが、自分の専門分野ならちゃんと勉強すればやれそうな気がする、というのはあつかましいか。
研修会後、日本料理店でサヨナラパーティがあって、妙に盛り上がった。まだ一日あるのにみんなに盛り上がって大丈夫か、と思う。しかし、ようやく全日程を終了し、明日は日本へ帰ることとなった。ここまでくればあっという間だった、と言えなくもないが、やはり長かったと思う。色々なことがありすぎて、ラスベガスへ来てからは気が抜けてしまったようだ。
とにかく、また10時間以上も飛行機に乗らなければならないが、明日は日本へ帰れると思うとうれしい。しばらく会社を休んでいいのなら、もっとうれしいが。
6月18日
という訳で、日本に帰って来た。日付がとんでいるが、飛行機の中で一日進んでしまった為だ。長かったな、と思うが今意外と疲れていない。慣れてしまったのか。
アメリカ時間で17日の朝、ラスベガスを発ちロサンゼルスへ飛行機で向かった。ラスベガスの空港へ着いたら、またもや飛行機が遅れていた。結局、アメリカ国内移動の飛行機は一度もオンタイムで飛ばなかった。でも、誰も文句を言わずのんびりと構えていた。郷に入れば郷に従え、という事か。さすがにラスベガスともなると、空港にもスロットマシンが置いてあるのである。で、飛行機待ちの間、またスロットをやって負けた。これで通算100ドル、スロットで負けたことになる。ツアーメンバーの中には、ある晩700ドル勝って翌日900ドル負けた、という人もいるから、それに比べりゃ全然大したことない。いい思い出です。
ラスベガスで飛行機が遅れたので、当然ロサンゼルスで乗り換える成田行きも遅れるだろうと思いきや、これがなんと定刻なのである。ロスでの乗り換え時間が20分位しかなく、皆で 走った走った、しかしアメリカの空港はやたら広く、気ばかり焦ってしまった。搭乗口に着いたら、搭乗案内が始まっていたのだが、我々は飛行機に乗る前にラスベガスの免税店で買った土産を受け取らなければならない。これが、係の人がまたゆっくりゆっくりとやっていて、さすがにイライラした。アメリカ人というのは、こういう時決して焦らないのだろうか。でも、精神的にはとても良さそうな気がする。しかし、かえすがえすも惜しかったのは、乗り換え地とはいえ、あこがれのロサンゼルスにわすがしか滞在できなかったこと(なんてったって20分)。つぎにアメリカへ来ることがあれば、必ずロサンゼルスに来たい。
帰りのフライトは来る時と大して変わらない。席は狭いし、蒸し暑いし、スチュワーデスは無愛想だし。そういや、今回は日本人はいなかったような気がする。ただ、こちらが少し慣れたのが違っていた。行きのようにただ寝ているばかりではなく、ちゃんとウォークマンも聴けたし。でも飛行機の中ってすごくうるさくて、ウォークマンのボリュームを上げたいのだけれど、音が漏れると周囲の人に迷惑だし、やや不完全燃焼気味だった(やはり疲れてるらしく、言ってることが徐々に意味不明になってきてる)。でも、相変わらず機内食はうまくない。ファーストクラスだともっといい物が出るのだろうか。同じか。でも、確実に座席は広い、次にアメリカへ行く時は金がかかってもせめてビジネスクラスにしよう、と思った。機内上映の映画は「ユー・ガット・メール」で、イヤホン無しで見てるとやはり分からない。でも、何となくこんなセリフじゃないかな、というのは想像できた。けど、全然違ってるだろう。
途中、うちのツアーメンバーとスチュワーデスとの間で、小競り合いがあり、後で聞いたら酒を飲んで盛り上がっていたので、スチュワーデスがあなた達そのお酒どうしたの、まさか免税品を開けたんじゃないでしょうね、と疑ってかかったらしい。やはり、長時間フライトだと、スチュワーデスもイライラするのだ。やはり、精神安定の為一部喫煙席を設けた方が良いと思いますが、どんなもんでしょう。
という訳で、11時間後成田に着いた。なんかすご〜くほっとした。日本語が使えること、円でキップが買えたことなどが、妙に新鮮に感じられた。一応、出張でもあるので、入国手続き後会社に電話を入れて帰国の報告をした。たかだか二週間程なのに、部長と広瀬さんの声がなんだか懐かしかった。
成田エキスプレスで帰ろうとしたら、空港内やJR駅構内のトイレの前などにトランクが結構置いてあって、うちのツアーメンバーの物だったりする。アメリカにいる時は、荷物から絶対離れなかったのに、日本に戻って来ると平気でその辺に置いてトイレに行ったり、電話をかけに行ったりしてて、何かおかしい。郷に入れば郷に従え、か。
ということで、今家にいる。でも、いい旅だった。やはり疲れてきたので、総括は後日まとめて、ということで。
という訳で総括
実はアメリカから帰ってきて、結構時間がたってしまった。今さら総括というのも鮮度が落ちるが、帰国直後よりも冷静に思い出すことも出来るかもしれないし、個人的にアメリカでの印象をまとめて書いておこう。研修報告は会社に提出したので、それ以外のことを。
1.アメリカ人って意外と礼儀正しい
これ、完全に偏見かもしれないが、アメリカ人というのは傲岸不遜、白人以外は人と認めず、絶対に自分から謝ることはない民族だと思っていた。が、わずか二週間の旅行中、驚いたのは、空港やらホテルのロビーやら人がたくさん集まっている場所で、肩が触れたり足を踏んだりすると、すぐ「Sorry」とか「Excuse Me」とかいった言葉が出てくること。たかが東洋人の旅行者に対してである。こちらが恐縮してしまう位だ。日本では、この程度で詫びの言葉が出てくることはまずないな、混んでるからしょうがないじゃん、って感じで。でも、ちょっと触れただけでもこういう言葉が出てくると、険悪な雰囲気にならずにすむし、悪くないな、と思う。自分もアメリカにいる間、人混みを歩く時は努めて「Sorry」と言っていた。でも、案の定日本へ帰ってきたら、とたんにやめてしまった。気のせいか、そんなことを言う雰囲気じゃないような気がするのだ。日本人、特に都会の人達は心がすさんでいるのか、言わんでも分かるのか。ただ、あとで聞いた話だが、今回我々がアメリカで訪れた地は、世界中の人が集まる観光地か比較的教育レベルの高い文教都市で、田舎に行けばそんな礼儀正しい人達ばかりではないらしい。そういうもんなのかな。
2.アメリカ人にも喫煙者はいる
ほんと、アメリカ人って煙草吸わない(少なくとも外では)と思ってたけど、これが結構いるのですよ。確かに、レストランにせよバーにせよ、屋根のある所は99%禁煙で、そういうとこは外に灰皿が置いてあったりするのだが、我々日本人だけではなく、アメリカ人がそこに集まって煙草を吸ってたりするのだ。それも老若男女関係なく。意外だった。マンハッタンのオフィスビルの玄関前にも灰皿が置いてあって、ビジネスマン風やキャリアウーマン風がビルの中から出て来ては、一服してまたビルの中に戻っていくのを見ていて、この人達もオフィス内で肩身の狭い思いをしてるのか、と思うとすごく親近感を覚えた。でも、アメリカ国内にスモーカーがたくさんいるのなら、アメリカの煙草会社は法律で広告・宣伝を禁止されても、やっていけるな。だいたいアメリカで嫌煙権なるものが広まったのは、健康第一主義からだと思うが、その割にはカロリーの高い物をたくさん食べて、歩くのを面倒がってカートなんぞに乗ってれば、何が健康第一主義じゃ〜、と言いたくなる。こういう点ではアメリカ人って何考えてるんだろうと思う。
3.英語が理解できないとアメリカでは生きていけない
何を当たり前のことを、と思うだろうが、実際例えば日本では日本語が出来なくても生活していくことは可能である。有名人とかで来日してから何年にもなるのに、日本語話せない人が大勢いる。所が、アメリカでは違うのだ。英語が読めなきゃ電車にだって乗れない。日本では駅名とかが英語でも書いてあるが、アメリカでは英語でしか書いてない。道路標識も日本や諸外国のように記号・マークなどではない。全部言葉である。「One Way」とか「Don’t Walk」とか。英語ってったって簡単じゃん、というのは多少でも英語の勉強をしたから言えるのであっ て、全く英語を使わない国から来た人は「Don’t Walk」の意味が分からず、そのまま横断歩道を渡ろうとして、車に轢かれてしまうのだ。それに、日本と違いアメリカ人は英語のできない外国人と会話をする時でも、ゆっくり喋ってやろう、とか、相手の分かる言語を使ってやろう、とかいう配慮は一切ない。相手が理解できなくても、自分のペースで喋るだけだ。これは僕も何度か経験した。そう、アメリカで生きていくのなら、とにかく英語を覚えなさい、ということなのだ。自国に対する自信か、単なる傲慢かは難しい所だが、少なくとも外人(それも白人)には妙にペコペコする日本人が多いことを思うと、ある種の潔さは感じないでもない。う〜ん、この表現に自分の複雑な心理を見る。ま、旅行ならともかく、そこで生活しようと思うのなら、その国の最低限の言葉は覚えていきましょう。
4.チップの経済効果
やたら何でもチップなのである。ホテルでメイドさんにと枕の下に入れておくのをはじめ、公衆トイレ(場所による)、タクシー等々ちょっとしたことには必ずチップを払う。もちろん日本にはこういう習慣はないので、すごくやりにくい。皆、満足な給料は貰ってないのか、などと勘ぐりたくなる。しかし、これだけチップを貰ってるとそれだけで結構な収入になるのではないだろうか。例えば、メイドさんに渡すチップは1ドルだったけど、その人が10部屋受け持っていれば10ドルになるし、50部屋こなせば50ドル、日本円にして約5千円ちょっとである。一日5千円稼げればまあまあだ。これにプラス本給があるはずなので、小遣いにはちょうどいいのか。チップだけで生活してる、というのなら厳しいけど。ま、チップによってお互い気分良くなれるのなら、それはそれで悪くないけど、タクシーなどちゃんと規定の料金を払った上でのチップだから、なんだか余計に金を取られたような気になってしまう。やはり東洋の島国の安サラリーマンはセコいのか。また、何ケ所かで見かけたのだが、チップとは違うけど、空港の中とかでゴーカートみたいなのに乗って移動している人達がいて、荷物もあるし、かったるいから車に乗ろう、ということなのだろうけど、歩いても大した距離じゃないし、金払って車に乗るなんてもったいないと思ってしまった(絶対、無料サービスじゃないはずだ)。あれ、スタジアムの最寄り駅などにもあって、駅の改札からスタジアムの入り口までやはりゴーカートに乗ってる人がいるのだ。歩けば7〜8分なんだけど。日本じゃ絶対成立しない商売って感じ。確かに、歩くのかったるいから車に乗りたいと思ってる人がいて、車に乗せて運ぶのを商売にしてる人がいて、双方にとっていいことなんだけどね。こんな所にも仕事は転がってるって気がする。先程、アメリカでは英語が分からないと生きていけない、と書いたが、その気になりゃ何をしてでも喰っていける、という国なのかもしれない。面倒なことは金払ってでも他人に任せたい、と思っている人も多いみたいだし。ちなみに、アメリカではゴミの分別回収はしてません。分別する人はいくらでもいる、ってことでしょう。
5.アメリカの食べ物
とにかく、量が多い。飲み物は甘い。アメリカにはジュースの自動販売機とかはなく、全て人 から買うのだが、冷たい物といってもアイスコーヒーとかはないし、コーラは滅多に飲まないし、 でジュース類は甘いし、結局飲めたのはオレンジジュースだけだった。あんな甘いアイスティーとかばかり飲んでたら味覚がおかしくなってしまわないだろうか。とまぁ、飲み物には閉口したが、食べ物は量が多いことを除けば、ちゃんと食べられた。日記にも書いたけど、ホテルのモーニングメニューとニューヨークで食べたピザがおいしかったな。ピザはイタリア風に薄い生地ではなく厚くて歯ごたえのあるやつで、たっぷりのチーズとサラミがまた格別であった。考えてみると、今日本ではこんなピザは食べられないだろう。でも、僕が小学生の頃、初めて食べたピザはこんなアメリカ風だった。つまり、ピザとはもともとイタリアから直接入ってきたのではなく、アメリカ経由で日本にやって来たのだ。イタリア人はしないという、ピザにタバスコをかけるのもアメリカで生まれた習慣だというし。昔はなんでもアメリカ経由だったのですね。ということをニューヨークでピザを食べながら実感した。
6.アメリカの航空事情
とにかく、何度も日記で触れているように、アメリカではまず時間通りに飛行機は飛ばない。一時間位は平気で遅れる。アメリカ人も鷹揚で、サンダーストームだのエンジントラブルだのと言われると、そうかそれじゃ仕方ないな、と納得してしまう。日本では定刻が当たり前だから許されないだろう。でも、最終日に日本へ飛ぶ飛行機だけが定刻だったのは、よく考えるとすごいおかしい。あと、アメリカのスチュワーデスは日本と違って、若くない、美人でもない、体がっしり、という印象。結構、重労働だもんな、アメリカのスチュワーデスって。空港につくと、すぐ別の便の搭乗案内やってたりする。あれを見てると、日本の国内便スチュワーデスなんて遊んでるように見えてしまう。こんなとこにも日本との違いを感じられて面白い。あと、蛇足ながら飛行機の中で飲み物と一緒にプリッツェルが出る。要するに、ねじり菓子なんだけど、これがちっともおいしくない。固いし、パサパサだし。ある時、食べずに放っておいたら、隣の席のアメリカ人が、食わないのか、と不思議そうな顔をしていた。
7.ラスベガスの日本人
アメリカ、特にラスベガスには日本人が大勢いた。観光客ではない、現地に住んでいる日本人だ。それも若い女性が目につく。ホテル内外の日本料理店で、結構見かけた。BARRY’Sの寿司屋にもいたので、学生かと聞いてみたら、違うと言っていた。アメリカで働いて、永住権でも取得するつもりなのだろうか。アメリカってそんなにいいのかな。短い滞在ではよく分からなかったが、少なくとも住んでみたいとは思わない。アメリカに限らず、外国で生活したい、永住したい、という人の気持ちがどうも僕には理解出来ない。日本の方が、安全でいいと思う。物価は無茶苦茶高いけど。やはり、井の中の蛙、なのだろうか。初の海外だったけど、その辺の印象は変わらない。
とまあ、こんな所でしょうか。出来るだけ冷静に思い出して書いたつもりだけど、忘れてるこ ともあるのだろう。思い出したら、また書いとこう。最近、ぽつぽつツアーメンバーの人から旅行中の写真が送られて来ている。皆、マメだなあ。僕も早く片付けなくては。今の所、写真を送ってくれた人に手紙かメールでお礼出してるだけ、だけど。ま、とにかく9月3日に再会パーティがあるし、そちらが今から楽しみだ。
9月3日(追記)
今日、再会パーティーがあった。帰国後、ほとんど会っていないのに(池谷さんと飯塚さんに外回りの時、ばったり会っただけだ。ちなみに、この二人と僕は行き帰りの飛行機で並んで座っていた)、名前も顔も全然忘れてないのに、驚いた。二ヶ月半もたつというのに。やはり、二週間とはいえ、ずっと一緒にいると、完全に刷り込まれてしまうのだな。
それはともかく、パーティーは賑やかに進行し、僕も色々な人と話したけど、意外と旅行の思い出話はなく、最近の話題ばかりであった。この時、スピーチを求められた星屋さんは一所懸命、中日を優勝させてくれ、と訴えていた(この人、名古屋の人なのだ)。僕もそうなるよう、祈りたい。
二軒目に、大勢でカラオケスナックへ行き、三軒目は後藤さん、飯塚さん、佐々木さん、井俣さんと天狗へ行った。久しぶりにワイワイ騒ぎながら飲んだ気がする。11月のJANPS’99の時に、また会合を持つそうで、定期的にこの時の顔ぶれが集まって飲むのもいいかもしれない。
思い起こせば、ツアーメンバーの大半は僕より年上であったにもかかわらず、僕を仲間として扱ってくれて、とても嬉しかった。商売が絡んでもいいけど、出来れば商売っ気抜きでつき合っていければ、言うことはない。とにかく、知り合い・友人が増えるのは大歓迎だ。
次回の会合を楽しみにしよう。