我が敬愛するミュージシャンたち
南佳孝
南佳孝といえば、昔も今も知る人ぞ知るミュージシャンである。かつては、山下達郎と並んで時代を先取りした音楽を作っており、それ故に一般には受け入れられないミュージシャンとして知られていたが、山下達郎は今や押しも押されもせぬ大御所になってしまったけど、南佳孝は相変わらず知る人ぞ知る存在のままである。本人にも売れてメジャーになろうという気はないのだろうけど、デビュー以来変わらぬクォリティを保つ作品に接していると、やはり今いちメジャーになり切れぬままで終わってしまうのは、非常に惜しい気がする。なりふり構わず、タイアップでも何でもいいから、とにかくヒットを飛ばして欲しいとファンとしては思う訳である。
ここで、知らない人もかなりいると思うので、南佳孝のディスコグラフィを紹介したいと思う(編集盤は除く)。アルバムだけでも、こんなにたくさん出ているのだ。
@ 摩天楼のヒロイン(1973)
A 忘れられた夏(1976)
B South Of The Border(1978)
C Speak Low(1979)
D Montage(1980)
E Silkscreen(1981)
F Seventh Avenue South(1982)
G Daydream(1983)
H 冒険王(1984)
I Last Picture Show(1986)
J Vintage(1987)
K Daily News(1988)
L 東京物語(1989)
M どこか遠くへ(1991)
N New Standard(1992)
O Another Tomorrow(1996)
P Festa De Verao(1996)
Q Sketch Of Life(1997)
R Purple In Pink(1999)
幸いほとんどが廃盤にもなっておらず、CDを手に入れることが出来る。プレス数は少ないが、廃盤にはしないレコード会社の配慮はありがたい。
南佳孝の代表曲といえば、郷ひろみが「セクシー・ユー」のタイトルでカバーした「モンロー・ウォーク(アルバムCに収録)」、薬師丸ひろ子が映画『メインテーマ』の主題歌として歌い競作となった「スタンダード・ナンバー(アルバムHに収録)」、そして同名映画の主題歌として自ら歌い大ヒットとなった「スローなブギにしてくれ(アルバムEに収録)」といった所がある。僕は今でもカラオケで「スローなブギにしてくれ」を歌うが、この曲、キーも丁度良く、3連のロッカバラッド風曲調も心地よく、個人の思い入れもたっぷりと実に歌いやすい名曲だと思う。この曲だけは、割に知ってる人も多い。彼のカラオケは通信でもあまりないだけに、貴重な一曲である。
南佳孝はかつてミュージシャンに憧れた理由として、早起きしなくてもいい(夜遅くまで起きていてもいい)と言っていたことがある。この発言のせいでもないだろうが、彼及び彼の音楽には孤高、というかアウトロー的イメージがある。音楽的には、昔からジャズやサンバといった当時の音楽界では決して主流とはいえなかった音楽の要素が強く、かなり趣味的な印象を与えていた。同時期、売れないなりにブラック系のサウンドを追求していた山下達郎とは随分違う。ジャズやサンバといったって、表層をなぞったものではなく、かなりコアに取り入れていたのである。そりゃ、仲々一般には受け入れられないよな。それと、彼の曲には社会からはずれた男、というのがよく登場する。いわゆるチンピラではない、分別の分かる大人で、それなりに常識もあるのだけれど、自らの意志で道をはずれるのである。当然女に愛想をつかされたりするのだが、仕方ないよなこんな俺だから、なんて呑気に構えていたりするのである。どうせ俺なんか、といじけたり開き直ったりするのではなく、あくまで自らの意志でドロップアウトするのだから、それなりのリスクも覚悟しているよ、世間を恨んだりしないさ、とある意味達観しているような感じなのだ。落ちこぼれやはぐれ者を気取る連中の大部分が、結局同情や共感を得ようとしているのに対し、南佳孝はそういうことはしない。自らアウトローを選んだ者の美学というか、強がりというか。でも、本当はそこまで考えていないのだろうとも思う。南佳孝は、自分の日々の生活について、「適当に起きて、なんとなく曲を作っていたりするとまどろんでしまって、気がつくと日が暮れている。また、それが何とも言えず気持ちよい。」と語っていたことがあるが、アウトロー気取りというよりただ気ままに生きているだけ、というあっさりしたものも感じる。要するに、単なる怠け者なのかも、なんて思わせる反面、見かけは日々の憂いのないこんな生活に憧れてしまったりするのも事実だ。僕にとっては、こうしたやや捕らえどころのないような部分が魅力であるのだが、最近のように“生き様”を売り物にするのなら、やはり理解しにくいだろうな、と思わざるを得ない。少なくとも、長渕剛や尾崎豊のようにはなれないだろうし、なりたくもないだろう。やはり、南佳孝は孤高の人なのだ。
アウトロー的イメージで売ってきた(本人は売り物にしてる気はないだろう。彼は山下達郎あたりと同じく、職人気質のミュージシャンだ)南佳孝だが、最近はちょっと違うイメージの曲もある。アルバムQ収録の「魂のデート」という曲で、離婚して妻が引き取った娘と内緒で時々会っている、という内容だ。娘とはいえ、聴いている限りでは高校生くらいのイメージである。主人公も、ほんとは自らのアウトロー体質ゆえに離婚されてしまったのかもしれないが、それなりの年で地位もあるサラリーマンのように聞こえる。南佳孝自身ずっと独身を通してきたらしいが、こういうシチュエイションも理解できるだけの年齢と経験は重ねてきた、ということなのだろう(断っておくが、この曲の作詞は松本隆である)。人間年をとってくると、社会との関わりを求めるようになるらしいが、アウトロー南佳孝が今後、その作品の中でそうしたテーマをどんな形で表現するのか、非常に楽しみである。今までと変わらないなら、それもまたよし。生涯アウトローの人生もいいではないか。どちらにしても、彼はとてもいい年の取り方をしているようで、僕としてはほっとしている。
しかし、生涯アウトローとはいえ、やはり前述したようにヒットは出して欲しいのだ。南佳孝のカラオケはあまりにも少なすぎる。彼もその辺を意識したのか、1998年から1999年にかけて、珍しくシングルを連発するという作戦に出た。ただ、ヒット狙いとは異なり、雑誌のインタビューでは、「表現方法の一つとしてのシングルリリースで、シングルとして発表する為に曲を書いた経験があまりなかったので、とても刺激的だった」なんてことを言っており、やはりアウトローなんだ、と笑えてしまった。この後彼はアルバムRにシングル曲をカップリングも含めて8曲も収録して発表する、という現在のJ−POPのやり方丸出しでアルバムを出し、お前もか、という気にさせたが、またその既発シングルばかりというアルバムが、ここ数年の彼のアルバムの中では一番出来がいい、というのも困ったものである。本当につかみ所のない人なのだ。ついていくのも覚悟がいる。
個人的には、南佳孝には今後もっと一般にアピールする音楽活動をしていって欲しい、と思っている。才能ある人だし、長いキャリアの中でいい音楽を作り続けてきた経験は昨今の若い連中には真似できまい。ガキの為の音楽ばかりではなく、大人の鑑賞に耐えうる音楽、大人が共感できる音楽を提供出来る人はそういないだろう。流行にも割に敏感だし、今の日本の土壌なら彼の音楽は十分受け入れられるはずだ。たとえアウトローでも、共感する人は大勢いる、と思う。
NOTE 2000.3.12