日々の覚書



2000年
5月3日(水)

 世間はゴールデンウィークである。世間は、などと他人事のように言ってるが、僕も9連休でゴールデンウィークの恩恵をたっぷりと受けている。今年は、天気もいいし、旅行したりするには最適だろう。しかし、9日間も休んでしまったら連休明けに会社へ行くのが嫌になってしまいそうだ。だいたい、朝ちゃんと起きられるだろうか。

 今、当HPの新企画を準備中である。とにかく、このサイトは来訪者少ないので新たに目玉となるページを、と始めたのだが、予想以上に時間がかかっている。連休中にアップするのはおそらく不可能だろう。一番困っているのは、デジカメの電池の消耗がとにかく早いこと。画像が多いので、ひとつづつパソコンに取り込んでいかないといけないのだが、すぐ電池が切れてしまう為仲々先へ進まない。ACアダプタを買いに行ったら、在庫がなく取り寄せになるというし、困ったもんだ。

 とにかく、まだ先になるけど、新企画どうかご期待下さい。ただ、かなりマニアックな内容になります(笑)。



4月21日(金)

 あまり褒められたことではないが、僕は電車に乗っている時、退屈しのぎに他人が見ている新聞・本・雑誌・メモ帳などを覗いたりしている。もちろん、じっと見てたりすると失礼なので、ちらちらと横目で見ている訳だが。並んで立っている人の新聞などを覗く場合、その人より後ろに頭を持ってくるようにしている。だから、紙面には遠くなって、見出し以外は読めないことの方が多い。

 とはいえ、仕事で外回りをしている時など、当然TVとか見ないからニュースなどは分からない。そんな時、電車内で他人の新聞見ると、たとえ見出しだけでも情報が手に入るので、非常に重宝している。

 マンガとかを盗み見ることもあるが、つい吹き出しそうになってしまうこともあり、こらえるのに苦労する。しかし、笑いをこらえつつマンガの持ち主を見ると、全く表情が変わっていない場合も結構あり、おかしくないのかと不思議に思うことも多い。よく平気だなぁ、マンガを見ても公共の場では絶対に笑わない訓練でも受けているのだろうか。

 若い女性がスケジュール帳を開いている場合もあり、覗いても何も読めないのだが、感心するのは皆スケジュール欄がびっしり埋まっていることだ。忙しいのだな、と思う。ただ、ある女性に聞いた話だと、給料日とかゴミの日とかもスケジュール帳に書き込んでいる人が多いらしく、必ずしも毎日何かの用事があるという訳でもないらしい。乃南アサの『水の中のふたつの月』に出てくるOLは、昔自分が犯した罪を忘れる為、毎日何らかの予定を入れてひたすら忙しい日常を作っていた。そんなことをふと連想させる女性のスケジュール帳なのでした。

 しかし、退屈しのぎとはいえ、これは単なる覗きだな。悪趣味なのでやめよう、と思うのだが、他人が読んでる本とかすごく興味が涌いてくるのである。これは一種の病気であろうか。もちろん、スポーツ新聞の風俗情報とか読んでる人がいたら、知らん顔してあげるのが礼儀です。



4月19日(水)

 聞く所によると、携帯電話(PHS含む)の加入台数が普通の電話を追い抜いたそうだ。6000万台を突破したらしいので、日本人の2人に1人は携帯かPHSを持ってることになる。これは生まれたばかりの赤ん坊も入れた数字であるので、実質的には持ってない人はいない、とすら言ってもいいのでは。複数台持ってる人もいるようだし。

 これだけ普及すれば問題も出てくる。JRでは随分前から「他のお客様の迷惑になりますので、車内での携帯電話の使用はご遠慮下さい」という車内アナウンスをしていたが、最近「他のお客様の迷惑になるのみならず、ペースメーカー等の医療機器にも影響を及ぼす恐れがありますので、車内では携帯電話の電源はお切り下さい」というようにアナウンスが変わってきている。確かに、うるさいくらいなら一時的(僕もかつて、車内で携帯電話で話していてどこかのオッサンに叱られたことがある)なことで済むが、心臓のペースメーカーとかが誤作動でもしたら生命にかかわる。十分な注意が必要だろう。

 とはいえ、ペースメーカーをしてる人はそんなに大勢いるのか。外見では判断つかない(ように思うが)が、電車に乗れば必ず一人や2人はいるものなのだろうか。それに、携帯の電磁波がペースメーカーに悪影響を及ぼすらしいが、屋外ではどうなのか。狭い空間だと危ないが、広い場所なら問題ないのか。また、どの程度離れていれば影響ないのか。この辺がはっきりしないと、電車の中はともかく、外へ出ても携帯電話は使えないことになってしまう。町中で使用する時、周りを見渡してペースメーカーを使っている人がいるかいないか、どうやって判断するのか。もし、電磁波が半径5キロ内だと影響するとか言うのなら、怖くて携帯は使えなくなってしまうではないか。こういった疑問をクリアにして、正しく携帯電話を使用できるように説明する義務がある(誰が?)、と思う。

 携帯電話は便利なものであるだけに、持ってても使えない、なんて事のないように皆で考えていきましょう(無難な締めだ)。



4月17日(月)

 昨夜TVで見たのだが、CDシングルがなくなってしまう運命にあるのだそうだ。最近発売されるシングル盤はマキシシングル(12センチ)がほとんどでCDシングル(8センチ)は少なくなっているらしい。確かにそういう傾向はあった。僕も同じ曲が12センチと8センチの両方で売っていたら(去年の宇多田ヒカルのパターンですな)、12センチを買う。8センチはどうも好きではない。理由を挙げると、

 1) 8センチは収納がしにくい。普通のCDと同じ大きさの12センチの方が扱いやすい。
 2) 8センチを聴く時、アダプターを装着するのが面倒くさい。

 1)については、前述のTV番組内でも、街で聴かれた人が同じ答えだった。2)については、そんな古いプレーヤーなんか使ってんじゃねぇよ、なんて言われてしまいそうだが、とにかく面倒なんだからしょうがない。あまりに面倒で、折角買った曲なのに何度も繰り返して聴く、ということをしなくなっている。ただ、これは8センチの責任ではないのだけれど。

 8センチが減りつつあることについて、惜しむ声もあるようだ。しかし、それがかつてのアナログシングル盤(いわゆるドーナツ盤)がデジタルに取って代わられた時に、ドーナツ盤を惜しむ声が上がったのとは少し違う感覚のような気がする。あの時はアナログで育ってきた世代(僕もそうです)が、時代の流れでデジタルに移行せざるを得ない状況に異を唱えていた訳だが、8センチをかつてのドーナツ盤と同様にとらえている音楽ファンは多分いないのではなかろうか。CDで育った連中はCDを単なる録音物としか捉えておらず、そこにはアナログ時代にあった“物”へのこだわりはない。でなければ、ネット配信で音楽を楽しむ、なんて行為を簡単に受け入れられる訳がない。オムニバスCDが売れるのも、CDをただの録音物としてしか認識していない証拠である。

 上記の様な理由もあり、僕は8センチがなくなっても別にかまわない、と思っている。ただ、12センチは折角録音時間が長いのだから、4曲くらいは収録して欲しいな。2曲で収録時間8分、なんて12センチはあまりにもこちらをバカにしているのではないか。



4月7日(金)

 我が中日ドラゴンズは、4日から6日のナゴヤドームでの対巨人3連戦、ちっとも打てず巨人の左腕新顔トリオの前にあえなく3連敗を喫した。そして、今日は横浜スタジアムでの対横浜ベイスターズ戦で、ナゴヤ3連敗のうっぷんをはらすかのように20安打&先発バンチのノーヒットノーランで快勝した。何考えてんだか。

 所で、またプロ野球絡みのネタで申し訳ないが、去る3月31日東京ドームでの巨人対広島戦のゲーム前にSMAPの中居正広がなんと日本国歌を独唱したんだそうですな。全然知らなかったけど。週刊文春の今週号にそのことが出ていて、「厳粛なムードがぶちこわし」とか「不敬の限り」とか、中居クンに対して批判的な事が書いてあった。ま、確かに彼の歌は下手だ。5万人近い人が集まった東京ドームでそんな下手な歌を聴かせるな、と言いたいのも分からなくはない。ただ、記事の論調で気になったのは、「君が代は神聖なる日本国の国歌である。下手なヤツが歌うと汚れる。だから中居が歌ってはいけない。」というトーンで貫かれていたことだ。国歌は国民のものであり、日本国民なら誰でも好きに歌ってもいいではないか、と僕は思うのだが。確かに大観衆の前で、というのはまずいかもしれないが、法律まで作って国民に国歌を浸透させようとしているのだから、中居クンのような人気者に気軽に歌わせて、君が代をもっと身近なものにしてもいいのではないか。「神聖」だの「犯すべからず」だのといったイメージを植え付けるから辛気くさくて誰も歌わなくなるのだ。君が代を鼻歌で歌ってたら叱られた、なんてことがあったりすると今以上に国歌は敬遠されるようになるよ。

 とはいえ、君が代をもっと親しみやすいものに、という意図があったかどうかはともかく中居クンはやはり歌が下手だ。人前で独唱なんてしない方がいい。彼には別の天分がある。でも、国歌について考えるちょっとしたきっかけにはなったな。さすが国民的アイドルである。ここまで計算してたのなら、脱帽です。



4月3日(月)

 プロ野球セ、パ・両リーグが開幕した。知ってる人は知ってるが、僕は中日ドラゴンズのファンである。その中日はヤクルトとの開幕3連戦を2勝1敗で乗り切り、明日からは下馬評と戦力ではダントツの優勝候補、巨人との3連戦である。

 毎年プロ野球開幕前に、順位予想というものが行われる。我が中日は本命巨人に対して、対抗馬扱いであった。去年優勝したチームが単なる対抗馬というのは少し失礼では、と思うのだが、野球解説者諸氏に言わせると、「退団したサムソン・リーと宣銅烈の穴が埋まっていない」ということである。そうだろうか。確かにサムソン・リーの退団は痛い。しかし宣に関して言えば、去年も絶対的なストッパーだったとは言い難かった、と思う。1勝2敗28セーブ防御率2.61、と数字は申し分ないが、元々リリーフ投手は前の投手が残したランナーを背負って投げることが多いので、自責点が少なく防御率がいいのは普通だし、宣に関しては9回の頭から登板してビシャリと3人で抑えた、という場面が少なかったと思う。ファンならお分かりだろう。去年、優勝を決めた神宮でのヤクルト戦、宣は9回ツーアウトから登板し、いきなりランナー二人を背負ってヒヤヒヤのピッチングだった。一点差をひっくり返されるのでは、と心配になってしまったくらいだ。結果的には勝ったけど、絶対に大丈夫という信頼感は今ひとつ、というのが去年の宣だった。ならば、宣がいなくても新戦力の佐野、鈴木平あたりの実績ある投手で穴は埋められる、と僕は思う。サムソンの代わりの問題、川上・落合の出遅れ等心配事はあるが、小池、バンチといった新加入の投手には期待できるし、間違いなく今年も中日は優勝争いの中心と僕は見る。ちなみに、パ・リーグは西武ではないだろうか。

 しかし、いつも思うのだが、何故スポーツマスコミは巨人のことしか取り上げないのか。確かに人気チームだけど、まだ選手が登場しているなら許せるが、昨今は連日「背番号3」の話題ばかりではないか。長嶋さんはスーパースターだけど、とうに現役は退いている人だ。ちょっと騒ぎすぎでないのか。現役にスターがいないからだ、などとマスコミは言うがだったらスターを作ればいいではないか。日本のマスコミならお手のもんだろう。だいたい今だに長嶋、長嶋と騒いでいるマスコミ関係者はオッサンばかりである。今のプロ野球はスター不在でつまらない、などと自分らの怠慢を棚に上げて、結局巨人偏重主義が野球界の人気凋落を招いていることを自覚してないのだろう。大樹の影に寄りたがる日本人の悪い癖だ。

 ということで、僕は東京中日スポーツ以外のスポーツ新聞は読まないことにしている。他の新聞にはポリシーも何も感じられない。恥ずかしくないのか、少しは反省しろ!



3月24日(金)

 最近よく町中で見かけるが、黒い顔に銀髪で厚底靴のどうみてもコギャルにしか見えない女の子が、子供を連れていたりする。ギャルママとか言うそうで、母と子というより大きな人形でも抱えて歩いているように僕には思えてしまう。彼女達の大半は、十代で子供を生み、いわゆる「できちゃった婚」なのだそうだ。良識ある大人たちからは好意的には見て貰えないだろうが、よく考えてみると、女性が子供を生まなくなって、出生率が下がり、少子化の危機が叫ばれる中、若い身空で子供を生むことを決意したギャルママたちは、社会に対する貢献度大ではないか。動機はともあれ、その勇気は賞賛されることはあっても、決して非難されるものではない。僕はギャルママも子供も好きではないが、厚生省が彼女たちに勲章でも送ることには、決して反対しない。もっとギャルママたちを暖かい目で見てあげよう、と本気で思っている。

 少子化、ということで思うのだが、自然界の動物たちは住んでいる場所や食べ物の量などに応じて、出産をコントロールするらしい。飢饉で食べ物が少ない時は、新しく生まれる数も減るのだそうだ。そうして、丁度良く暮らせるように適当な数を保ち続ける訳だ。これ、もちろん連中が意識して行っている訳ではなく、自然とそうなるらしい。本能で、「これ以上増えてはエサが足りなくなってヤバい」と察するのだな。これと同じ事が人間界にもおきているのではないか、と僕には思える。このまま人口が増え続けたら、我々は住む場所にも食料にも困ってしまう。ピーター・ガブリエルではないが、体を小さくしなければ、全員が生きていくことは不可能になってしまうのだ。だから、今出生率が下がっている、と僕は思う。女性は子供を生みたがらない、男性の精子は減少している。色々な説はあるものの、これは自然の摂理なのだ。だから、あれやこれや騒いでも仕方ないのではないか。前述のギャルママの件と矛盾するが、子供が増えないのは、増えてはいけない状況にあるからなのだ。人間だって動物の一種、本能でそれを察知しているのだろう。税金が取れないので、国はつらいだろうが、100年も経てば持ち直すだろう。出生率の低下は国を滅ぼすそうだが、本当に国を滅ぼす元凶は別の所にいる事は、皆が知っている。



3月7日(火)

 近頃巷に流行るもの。

 モテる男はシンメトリーなのだそうだ。これ、左右対称という意味なのだそうだが、要するに動物学的にみて優秀な個体であることの証明らしい。優秀な個体は優秀な遺伝子をもっており、女は動物的カンでそれを見抜いて、その男の子供を生もうとするのだそうである。なるほど、結局そこへ行き着くのかって感じ。女がいい男に群がるのは、いい子供を生みたいから、ということなのか。ちなみに、新聞に載っていた「あなたのシンメトリー度チェック」というのをやってみたら、情けないことに僕は120点満点中65点だった。まあ、個体差がついているからモテない奴は何やってもモテないのだ。はっきり差がついていることはよく分かったから、いつかは俺だって、なんていう希望を持つのはやめよう。ついでに言うと、先のチェックの65点というやつ、世間の一般的男性の数値だそうである。

 なんかここんとこ、女の子3人または4人のグループがたくさんデビューしてないか。dreamとかEARTHとか。歌ってる歌はダンス系かR&B系。どう考えてもSPEED解散後のファン獲得を狙ってるとしか思えない。長続きするのだろうか、と心配になってしまう。どれも同じに見えるし。それに、そんなにSPEEDっていいかなぁ。騒ぎすぎて、本人達も周りも過大評価しすぎのような気がする。所で、去年デビューしたやはり女の子4人のダンスグループで、TVドラマ「らせん」の主題歌を歌っていたグループの名前とその曲名を覚えている人いますか? いらしたら、僕に教えて下さい。



3月4日(土)

 最近気になることをいくつか。

 僕は時々コンビニで弁当を買うのだが、昨今は環境保護の為か、箸・スプーンの類は付けないことにしているらしい。レジで「箸はお付けしますか?」などと聞かれて初めて知った。まあ、ゴミを出さないようにとか、資源を大事に使おうとか、そういうことは分かるのだが、それだったらあの過剰包装は何とかならんのか、と思う。弁当にせよ惣菜にせよ、ラップで何重にも包装されていてはがすのに苦労するし、カップラーメンなどでも中に小さな袋がいっぱい入っていて、またその袋が切りにくくて中身をこぼしたり、手が汚れたりとろくなことがない。で、一回の食事が終わるとゴミの山だ。これでは、箸を付ける云々など大した効果はない。ゴミを減らすなら、包装を減らすのが一番だ。しかし、鮮度がどうこう言って、これは実現しないだろう。日本人は包装好きだし、簡易包装にすると多分売れないのではないか。本屋のレジで見てると、環境だの資源だのいかにもうるさいことを言いそうなおばさんが、どうでもいいような雑誌とかをわざわざカバー付けさせたりしているのだ。この人の家から出るゴミはかなり多いだろうと想像してしまう。皆、口ではカッコ良いことを言っているが、根本的に改善しなければならないことには目をつぶり、あまり罪のないものに責任を押しつけている。これじゃ何も良くならない。

 今週買った週刊文春に、学習指導要綱が改訂され、「ゆとりの教育」の名のもと、学校の学習カリキュラムが約3割削減される、という記事が載っていた。最近大学生の学力低下が問題になっているが、今回の指導要綱改訂はそれにさらに拍車をかけるものである。記事によると、そういった危惧に対して文部省は、レベルを少し下げて理解出来る数を増やすのが大事で、理解出来れば次の段階へ自発的に進むから、学力低下については問題ない、と言ってるらしい。自発的に勉強する子供ばかりなら、何もしなくてもいいはずだが。昔から思うのだが、文部省は要項を改訂したり、試験の方法を変えたり、色々なことをやっているが、要するに暇なのではないか。することないから、変えなくてもいいことも変えてみたりするのだ。そんなに暇人が多いのなら、まず文部省からリストラしてもらわないといかんな。

 上の事にすこし絡むが、大阪の大学で差別的発言を理由に教授が学生から退任を要求され、この教授は結局辞めたそうだ。確かに口は悪かったらしいのだが、先の文春によると、真相は教授が書くことになっていた卒業論文が遅れたので、学生たちが怒ったらしい。何をかいわんや、である。今の大学生は卒論を教授に書いて貰えるのか。これが当たり前だと思っているのだろうか。何年か前に、就職が決まっていた学生が必要な単位を取れていない、と留年させた教授がいて、ひどい先生だの何だのと叩かれたことがあったが、単位が足りないのだから卒業出来ないのは当たり前で、結局学生本人が一番悪いのである。だけど何故か教授が批判されていたと記憶する。これらの出来事から思うに、今の学生は甘やかされてないか。大学とは本来勉強する所で、遊ぶにしても、最低限のことはやっておく(例えば、授業はとにかく出席するとか、内容はともかくレボートはちゃんと出すとか)のが当然であろう。だいたい大人、というか世間が子供に気を使い過ぎである。ちゃんとした人間にしたければ、甘やかさないことだ。少なくとも、僕は卒論を教授が書くのを当たり前と思っているようなのは、うちの会社に入ってきて欲しくない。

 今回は長かった。



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