日々の覚書
2000年
12月31日(日)
いよいよ大晦日になってしまった。おそらくこれが年内最後の更新だろう(笑)
やろうやろうと思いつつ今日になってしまったが、今年を振り返るという事で、2000年のベストアルバムを選んでみた。新譜に関して言えば実はそんなに聴いてないのだが(笑)。今回は洋楽、J−POP、編集盤の3部門でそれぞれベストアルバムを選びました。まず、洋楽部門から...。
−洋楽−
1.YOU HAD IT COMING/JEFF BECK
2.YOU’RE THE ONE/PAUL SIMON
3.VAVOOM!/THE BRIAN SETZER ORCHESTRA
4.INTO THE LIGHT/DAVID COVERDALE
5.CHOCOLATE ST★RFISH AND THE HOT DOG FLAVORED WATER
/LIMP BIZKIT
期せずしてベテランばかりが並ぶベスト5になってしまった。新しいの聴いてないのか、なんて言われそうだが馴染めないものは仕方ない(と、開き直る)。例によって、順位はあまり意味ないのだが、ジェフ・ベックの新作はインパク値(古い...)が高く真っ先にあげた。来日公演の興奮も手伝っての一位、ということで。他のベテラン勢のアルバムも内容的には甲乙つけ難い。どれにも共通するのは、過去の名声にすがらず、ミュージシャンとして進化を続けて現代でも通用する作品を作っていること。若い人にも是非聴いて欲しいと思う気持ちがこのセレクトに表れている(笑)。リンプ・ビズキットは、僕だって新しいバンド知ってるのさ、とオジサンではない事を見せつけようと選んだ(爆)、というのは嘘で、単にいいと思ったからである。
さて続いてJ−POPにいきましょう。
−J−POP−
1.ハヤブサ/スピッツ
2.上々颱風 8
3.LOVE LIFE/hitomi
4.勝訴ストリップ/椎名林檎
5.THE BLACK MASS FINAL 3NIGHTS/聖飢魔U
こちらは、まあ妥当な選択かな(えーっ)。上位2枚は本当に名盤といっていい。単なる洋楽の模倣や売れ線狙いでない、確固たるスタイルがあると思う。3、4位は対照的と言ってもいい女性シンガーが並んだ。特に、椎名林檎は色々物議を醸したが売れてしまうと雑音も多いものだ。マイペースで頑張って下さい。聖飢魔Uはラストライブの実況録音だが(古い言い方...)、技術・音楽センス・キャラクターとどれをとっても一流のハードロックバンドだったと思う。ほんとに解散は惜しい。某音楽誌で書かれてたように、どうせ悪魔なんだから、「言った覚えない」って公約を反故にしても良かったのに(笑)、なんて思ってしまう。ま、総括すると日本人ならではの音楽を作るミュージシャンが増えてきたのはとても喜ばしい、ってとこかな。
続いて編集盤。
−編集盤−
1.THE SOLO COLLECTION/FREDDIE MERCURY
2.FOREIGNER ANTHOLOGY:JUKE BOX HEROES
3.BLACK GOLD:THE BEST OF SOUL ASYLUM
こちらは別に講評は必要ないですね(爆)。宣伝したいのがミエミエの選択だし(自爆)。でも、今年買った中で最も思い入れが強かったのが、フレディのボックスであり、フォリナーのアンソロジーだったのは間違いない。ファン心理をついた商品であるのは確かだが、その音楽が素晴らしいのは事実である。フレディは僕が気にしなくても大丈夫だが、フォリナーはほんと再評価されて欲しいと思う。
こんな所です。異論はおありでしょうが(笑)、世間では話題にならなくても、これだけ素晴らしい作品があったのだという事は覚えておいて下さい(笑)。
12月28日(木)
不覚にも風邪をひいてしまった。
今回の風邪は、鼻水が出て喉が痛くて咳が出る、というオーソドックスなもの。こういう普通(?)の風邪をひいたのは久しぶりだ。しかし、今日はまともに声が出なかった。やっとの思いで出してみると、案の定変な声になっている。こういう状態の時って、人と話をするのすら嫌になる。だが、僕は営業職で、いわば人を話をするのが仕事みたいなもの。喋りたくないけど喋らなきゃいけない。正に苦痛以外の何者でもない。
風邪をひくと、体調はもちろんだが、精神状態も悪くなる。風邪の時って、あまり機嫌が良くないのだ。誰しも、会社や学校などに気に入らない奴とか、顔を見るのも嫌な奴、というのがいると思うが、僕にもそういうのが会社にいる訳です。で、自分が風邪ひいてヒーヒー言いながら出社して、奴が元気だったりなんかすると、「こいつは何でもないのに、なんで俺ばかりこんな目に会わなきゃいけないんだ?」なんて気持ちになってしまうのである。で、よけいに機嫌悪くなっていく訳です(笑)。逆の場合は全然気にしたことなくて、「あ、こいつ風邪かぁ」で終わってしまうんだけど。
ま、とにかく、軽くても風邪なんてひくと、精神的に非常に良くない。皆さんも気をつけて下さい。僕も早く直そう。
12月11日(月)
今回は(いつもだが)大した話ではない。
昨日、実は葬式に行った。で、いつも葬式(通夜、告別式含む)に出席するたびに思うのだが、場を仕切っている人というのがいますよね。受け付けはどうするとか、花輪の位置はこうとか、焼香の順番とか、をあれこれ指示している人。また、葬儀のマナーに詳しい人というのもいる。香典袋の書き方とか、ご焼香の時手を何回合わせるとか、を教えてくれる人。こういう葬儀の段取りや作法に詳しい人が色々教えてくれると大変助かる。僕などは、何も知らないので(一度教えて貰っても、機会がないのですぐ忘れる)とても頼もしく見えたりする。
しかし、その反面、プロの葬儀屋でも何でもない人が、葬儀のルールとかにやたら詳しかったりすると、その人は葬式に慣れている、つまり何だかその人の周囲ではしょっちゅう人が死んでるような気がして、あまりお近づきになりたくはないな、なんて思ってしまうのだ。別にその人(葬儀の作法をよく知っている人)が悪い訳ではないのだけれど。
こういう事って、知らない方が幸せなのかも、と葬儀に参列しながら不謹慎にも考えたりするのである。
12月10日(日)
昨日ついにジェフ・ベックを見に行ってきた。去年の来日の際、チケットを買ってあったのに、都合で行けなくなり泣く泣くチケットを人に引き取って貰った、という経緯があっただけに、今回も実は直前まで心配だった。僕の都合もさることながら、ベックがいきなりキャンセルかましたりしないだろうか、という心配もあったのである。しかし、そんな心配はどこへやら、無事行われたコンサートは非常に素晴らしいものであった。筆舌に尽くしがたいとは正にこの事だ。こんな所でレポートしても、そのコンサートの素晴らしさを書き表す事はまず不可能だろう。でも、それでは話にならないので、一応書いてみましょう。どこまで、伝わるだろうか?
会場(パシフィコ横浜)に着いてから真っ先にした事は、入場の列に並びながら客層を観察することであった。これはいつもやっているのであるが、年齢層はどの辺が多いのか、男女の比率は、見た目はどんな感じの人がいるか、といった事を観察するのである。今回は、若い人も多く年齢層はバラエティに富んでいたように思う。古くからのファンはもちろん、新しいファンもベックは掴んでいるのだ。男女比でいうと、男が多いかなという印象。だいたい外タレのコンサートというと、ファッショナブルというか派手というかケバいというか、とにかくそういう若い女性たちが多く、それはそれで華やかでいいのだが、コンサート会場をほとんどクラブか何かと思い込んでいるような感じがしてしまう。が、今回は女性客も割と普通(の格好)の人が多かった。さすがにベックの女性ファンは聴きに来ている。これがクラプトンだったら、おそらく会場はコンパニオンだらけ、という印象になったであろう(笑)。
僕の席は2階だったが、ステージほぼ正面でしかも最前列。最高のポジションだったかも。で、予定時間より10分程遅れてコンサートは始まった。ベックが登場し、あのギターの音が聞こえた瞬間、僕は目頭が熱くなるのを感じた。やっと見れたという感慨もあったが、生であの音を聴くと感動してしまうのだ。これは、現場にいないと分かりにくい感覚だろう。曲は新作『You Had It Coming』からのものが中心で、あと昔の曲が混じるという構成。『There And Back』から3曲も演ったのは、ちと意外だった。コンサート自体はMCもなく、次々と曲が演奏される。ベックは割と機嫌良かったみたいで、観客に愛嬌を振りまきながら弾き続ける。サポートは、ギター、ベース、ドラムの3人。サポートのギタリスト(ジェニファー、去年も来た女性)はギターシンセを使ってたようだ。3人とも、ひたすらバッキングに徹し、主役はとにかくベックのギター。ミキシングもドラムやベースがかなり引っ込んだ感じで、ひたすらベックが全面に出ていた。ま、それも当然。ベックは気持ちよさそうに弾きまくり、観客はそのフレーズにいちいち興奮する。とにかく雄弁なギターなのだから、ボーカルなんか必要ない、って感じ。歌なしでこれだけ聴衆を引きつけることの出来るプレーヤーが他にいるだろうか。この日の客は皆、間違いなくベックのギターに“酔って”いた。テクニック云々を超えた何かがそこにはあった。
ベック以外のメンバーはサポートに徹していた為、かつてのようにベックのギターと他のプレーヤーが火花を散らす、という展開は少なかった。古くからのファンは、そこいらが物足りなくもあったろう。ただ、ラストの「Blue Wind」に限っては、そうした火花を散らすバンドの演奏が聴かれた。全部とは言わないが、こういうのもせめて3分の1くらいは聴きたかったな。
しかし、この「Blue Wind」、確かに大受けでイントロのハイハットが始まっただけで、大変に盛り上がっていた。ベック側もこの曲が受ける事をもちろん想定していたのだろう、途中でギターの掛け合いのフレーズを客に歌わせる、という前代未聞のサービスに出た(笑)。いきなり、音が途切れたので、僕はてっきりベックが間違えたのかと思ってしまった。ベックも耳に手を当ててたりなんかして、結構お茶目だった。僕たち聴衆もそうだが、ベック自身もすごく楽しんでいるような感じで、こちらからするとそれもまた嬉しかった。
唯一の不満は、コンサート自体が短かったこと。前述のように、17:00開演の所10分遅れで始まり、アンコールが終わってダラダラと外へ出た時、時計を見たらまだ19:00になっていなかった。ほんと、もっと聴きたかった。
という訳で、意味不明のジェフ・ベックのコンサートレポートでした(笑)。でも、素晴らしいものを見れた、という感じ。これからも、やんちゃなギター小僧のまま、活動を続けて欲しいと思う。クラプトンみたいな行き方もあるけど、ベックには絶対似合わないと思うのだ。女性の熱い眼差しを集めるベックなんて...ちょっと想像したくないな(笑)。
12月8日(金)
今日の昼間、外回りで東急東横線元住吉駅に行った。駅前の商店街を歩いていると、とある曲のイントロが僕の耳をとらえた。まさか、こんなとこで、この曲が聴けるとは...その瞬間僕の足は止まった。そこで流れていた曲とは...松本伊代の「太陽がいっぱい」だったのである!
くどいようだが、本当にこんな所で聴けるなんて予想もしなかった事だから、最初はイントロがとてもよく似た違う曲かと思った。が、歌い出しの♪シャツの袖折り曲げた腕から〜、あの鼻にかかった独特の声が流れてきて、間違いない! と確信すると次はどこの店から流れてくるのか気になった。そしたら、なんと! 店から流れてくるのではなく、商店街のBGMだったのだ。つまり、商店街を歩いているとこの曲が、あの声が、♪コパカバーナ危険な香り〜、とついてくるのである。なんという事か! 商店街のBGMの担当者に80’sアイドルマニアでもいるのだろうか。でもとにかく、得難い経験(?)をしたなあ、あそこを歩いていた人の何人が、この曲を知っていたんだろうか。
告白すると、僕はかつて松本伊代のファンだったことがあり、中でも「太陽がいっぱい」は好きだった。松本伊代の全シングルの中でも、間違いなく5本指に入る曲だと思っている。しかし、松本伊代といえば、やはり♪伊代はまだ16だから〜、と歌う「センチメンタル・ジャーニー」であり、言ってみれば太田裕美と言えば「木綿のハンカチーフ」というのと同じくらい、スタンダードになっている。間違っても「太陽がいっぱい」ではないはずなのだ。それだけに、商店街で唐突に耳にしたこの曲が場違いでもあり、嬉しくもあり、マニアックでもあり、僕は知らず知らずニタニタしながら歩いていたのだった。
その後、会社の帰り、舗道でふと妙な物をみつけた。近づいてよく見たら、ビージーズの『失われた愛の世界』というLPのジャケットの一部が、切り取られて落ちていたのだ。誰が、何のために捨てたのか。だいたい、今このジャケット写真に反応する人がいるのだろうか。と思いつつも、変に懐かしくて信号が変わるまでずっと眺めていた僕でした(笑)。
関連があるのかないのか、よく分からない2つの出来事。しかし、僕の頭の中では、何故か完全に1セットだ。21世紀を目の前にしてのこれ、ひょっとして何かの啓示か?(ないない)
12月5日(火)
別に怒っている訳ではないので、誤解されないようにお願いしたいが、僕は最近とある洋楽サイトのウェブリングに参加しようと申し込みをしたのであるが、どうも落ちたらしい。審査の上遅くとも二週間以内には連絡します、とのことだったのだが、二週間以上過ぎても音沙汰無しなので、間違いなく審査に通らなかったのだろう。ま、これはこれで仕方がない。そのウェブリングでは参加の条件として、洋楽オンリーのサイトであること、個人のサイトに洋楽のページもある、というのは駄目ですよ、ということを最初から断っているので、当サイトはその基準からはずれてるかも、とは思っていたのだ。だから別に怒っている訳ではないと、最初に書いた。ただ、当サイトは洋楽オンリーサイトではないが、洋楽色はかなり強いと思うんですけど(笑)
ただ、時々思うのだが、洋楽とは何ぞや?、と思う事が多々ある。唐突に僕の見解を述べると、洋楽とは海外のミュージシャンによる音楽全般を指す。ジャンルは問わない。だから、クラシックもロックも外人によるものは洋楽、アメリカでもイギリスでもスペインでも外人がやってるから洋楽、とこういう解釈である。決して、英米のロック・ポップスという狭義の意味では使ってないつもりだ。でないと、分類が難しくなってしまうからである。
僕はCDを単純に海外・国内と分けて整理している。分かりやすいでしょ? しかし、世間では僕とは、洋楽に関する解釈が違うようだ。世間では外国の音楽を洋楽、と呼んでいるらしい。同じじゃん、と思うだろうが違う。僕の言うのは“外人がやってる音楽”、それに対して“外国の音楽”、違うでしょ?
例を挙げると、今人気の綾戸智絵、という人がいる。僕に言わせれば洋楽ではない、何故なら彼女は日本人だからだ。しかし、オリコンなどのチャートではこの人のアルバムは洋楽チャートに入っているのである。おそらく、綾戸智絵のCDには外国曲のカバーが多いからだろう。つまり、日本人が歌ってても“外国の音楽”、だから洋楽。綾戸智絵以外にも、洋楽チャートに入っている日本人は多い。だいたいジャズかクラシックの人だ。業界では、そのように区別しているという事が分かる。
また、世間では、洋楽かどうかを判断するのに、もう一つの基準がある。それは“欧米の音楽を洋楽という”、ということである。つまり、アジアの歌手は洋楽ではないのである。チャートを見たって分かる。まるっきり日本語で歌っているケイ・ウンスクあたりはともかく、フェイ・ウォンとかも国内チャートに入っていた。アジアの歌手は日本語で歌う場合が多いので、そういう解釈になるのだろうが、フェイ・ウォンのちょっと前のヒット曲は英語だったと記憶している。それでも、アジアだからJ−POPか。
以上とは別に、海外のレコード会社から出ている物は洋楽とする、というのもあるらしい。昔、坂本龍一のアルバムがバージンレコードから出ていたことがあるが、あのアルバムも洋楽チャートに入っていた。
ま、ダラダラと何が言いたいかというと、どっちでもいいじゃん、って事かな(笑)。日本人が歌ってるなら立派な日本の音楽ではないか。確かに、僕も洋楽好きです、なんて公言してるが、それは主に英米のロックなどを指している事が多い。でも考えて見れば、それも不毛なことだ。外人だろうが日本人だろうが、関係ないではないか。アジアの例をとるまでもなく、かなり白人コンプレックスも見え隠れするし。本当に音楽好きなら日本も海外も関係ないだろう。でも、僕は外国のロックの方が好きではあるんだけど。う〜ん、それでもちょっと、何が言いたいのかよく分からない(笑)。申し訳ないです。
あ、別に前述の洋楽ウェブリングのことを皮肉ってるのでは、決してありません(笑)。
12月3日(日)
ついに12月に突入し、2000年も残す所あとわずかである。年が明ければ21世紀、子供の頃は21世紀なんて、遥か未来の事という気がしていたが、もうすぐなんである。一体どんな時代が待っているのであろうか。
思うに、20世紀の100年間で人類は物凄い進歩を遂げた。細かい事は省略するが、だいたいの事はやってしまったのではないか、とすら思える。この先21世紀になって、まだまだ進歩していくのだろうか。それとも、現状維持か。後退するなんてことはないよな。
前述したように、子供の頃は21世紀は遥かな未来だと思っていたが、それは子供だったから、というのもあるが、当時読んでいたSF小説などに描かれる21世紀がまるで別世界のように思えたから、というのも間違ってはいないだろう。21世紀どころか、20世紀の終わり頃には既に、宇宙旅行・人工冬眠・召使いロボットなどは実現しているかのように書かれていたと思う。現実には、今挙げた事項はまだ実現していない。最近、非常に人間に近い動きをするロボットが開発され話題になっているが、昔のSF小説の感覚からすると、まだこの程度の動きしか出来ないのか、なんて思ってしまったりする。愛好者からは名作と言われているロバート・A・ハインラインのSF『夏への扉』では、主人公が人工冬眠を利用して1970年頃と90年代終わりとを行ったり来たりする。もちろん、そんなことは、少なくとも実用化されてない。ただ、そういうSFにかぶれていた小学生には、思ったほど進んでないなぁ、と感じられるのだ。もう限界かなぁ、と。もちろん、現実を見てみれば、色んな物が30年前とは比較にならないくらいの進歩を見せている。パソコンにせよ携帯電話にせよ。たけど昔のSFほどではない、というだけのこと。当時からSF小説にはタイムマシンはもちろん、クローンとかテレビ電話とかの概念も既に存在しており、小さい頃からそんなものを読んでいた子供には、現在の科学の進歩もまだまだ、と思えてしまうのだ。分かって頂けるだろうか、この感覚。経験ある人も多いと思うのだが。
余談だが、前述の『夏への扉』、この小説に感銘を受けた山下達郎が「夏への扉」という曲を作ったことは(作詞は吉田美奈子)意外と知られてない。いい曲ですよ。
11月19日(日)
いよいよフレディ・マーキュリーのボックスセットが発売になる。予約してから早や3ヶ月、ついに、本物を手にできるのだ。ワクワクしている。で、そのボックスセットなのだが、なんと発売日を待たずして限定3500セットが完売したそうだ。今朝の東京中日スポーツの芸能面に載っていた。やはり、新聞でクイーンの事が記事になると嬉しい。ということで、今回は無茶を承知でその新聞記事を原文のママ、ここで全文掲載させて頂く。
発売前なのにもう売り切れ!!
これはお宝、『フレディ・マーキュリー・コレクション』
CD10枚、DVD2枚 3500セット予約だけで
エイズのため1991年11月24日に45歳で死去した、英国の伝説的ロックグループ「Queen(クイーン)」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーのソロ時代の曲などを収めた、ボックスセット「フレディ・マーキュリー・コレクション 1973−2000」(定価・税込み3万円)が、今月22日の発売日を前に、予約だけで限定3500セットを完売したことが18日、分かった。
同セットは、廃盤2枚や約9年間に取材を受けた未発表インタビュー音源を含むCD10枚(全128曲)と、プロモーション映像や今回のために制作されたフレディのドキュメンタリーを収録したDVD2枚の構成。ファン垂涎の幼少期の秘蔵写真などフレディの軌跡が網羅された、120ページの超豪華本も付けられている。
今年8月下旬から予約を開始したが、高額商品にもかかわらず店頭に並ぶ前に完売し、東芝EMIではうれしい悲鳴をあげている。
同社では、同セットのダイジェスト版ともいうべき、3枚組のCD「ベスト・オブ・フレディ・マーキュリー」を10月25日に先行発売したが、こちらもすでに3万セットを突破し、フレディの命日を前に、あらためて彼の偉大さを見せつけている。
以前ここでも紹介したが、東京中日スポーツでは今クイーンが人気だ、という内容の記事を(ブレイク・フリーの)写真付きで掲載した事があった。芸能担当記者にクイーンのファンでもいるのだろうか(笑)。何はともあれ、こうして今でもクイーンが活字になる、という事次第が感動的だ。ビートルズに負けず、永遠不滅の存在でいて欲しい。
ま、とにかく、ボックスを指折り数えて待つとしよう。おっと、その前に我々FIREWALLのライブが控えている。まずは、そちらに集中だ。
11月11日(土)
2〜3日前の新聞にも載っていたが、LUNA SEAが今年いっぱいで解散するそうだ。理由はよく知らないが、勿体ないなと思う。
ここに宝島社発行『音楽誌が書かないJ−POP批評4』というムックがある。この中に「99年総決算特集 Jポップ勝ち組・負け組ランキング−ビジュアル系バンド篇」という記事があり、仲々興味深いことが書かれている。曰く、業界内では「ビジュアル系100万枚限界説」というのがあり、これは熱狂的なファンが多い故にビジュアル系は成功を収めるのも早く、デビューして程なくミリオンセラーアーティストの仲間入りをする。しかし、それ以上のセールスをあげる事は不可能である、というのである。で、ビジュアル系として認識され成功したバンドたちは、さらにセールスを伸ばす為、脱ビジュアル系を目指すのだそうだ。ここでいう脱ビジュアル系とはどういう事なのかを説明する前に、まずここに載っているビジュアル系の定義を紹介する。
1.上昇志向が強いこと
2.バンドの歴史にドラマがなくてはならない
3.体はあまり丈夫でないこと。最低、ツアー、ライブ中に一度は倒れていること
4.バンド結成後、最低ひとりは地味めなメンバーをクビにしていること
5.バンド、メンバー名はアルファベットもしくは難解な読みの漢字が望ましい。フランス語は高得点。
6.中、高校生時代にワルであったこと。族は高得点
7.化粧は派手であるべし
8.髪は奇抜な色に染めるべし
9.衣装は中性ヨーロッパ風もしくはニューロマンティック風
結構笑えてしまうのだが、これを踏まえて脱ビジュアル系の戦略なるものを見てみると、何故LUNA SEAが解散してしまったのか、分かるような気もする。
1.化粧はナチュラルメイクが限度と心得よ
2.衣装は渋谷、原宿あたりを歩ける程度にフツーにすべし
3.対象が音楽であれなんであれ、マニアックさ(オタクさ)をリスナーに感じさせてはいけない
4.楽曲はひたすらポップに。歌詞もカラオケで歌える、歌っても恥ずかしくないようなものに
5.ビジュアル系だった過去の抹消に努めるべし
ビジュアル系は上昇志向が強い故にビジュアル系なのだが、上昇志向が強いので、もっと上を目指す為、脱ビジュアル系を計るのである。なんという矛盾(笑)。で、要するにビジュアル系バンドだったLUNA SEAは、ここでいう脱ビジュアルに失敗し、GLAYやラルクといったバンドに大きく水をあけられた、ということなのだろう。化粧や衣装はともかく、彼らの音楽は確かにマニアックな香りがしたし(当然、カラオケで歌えるような曲は少ない)、決してポップとは言い難い部分がある。500万枚とか700万枚とかのセールスに結びつく音楽とは思えない。ただ、LUNA SEAは果たしてそれを望んでいたのだろうか?
個人的にはLUNA SEAは好きなバンドだ。彼らが世間でいうビジュアル系のイメージでデビューしたのは事実だが、活動を続けるうちにこの非凡なバンドは徐々にその音楽を変えていった。ポップになるのではなく、大衆性を加味しながらも自分たちの年齢に見合った、かといって脱ビジュアル系でもない音楽性にシフトしていったのだ。これは転向でも迎合でもない、正に成長というべきもので、すべてのロックバンドが直面する課題をLUNA SEAは実に理想的な形で乗り切った、と僕は思っていた。そこへ、この解散のニュース。結局、ビジュアルだの脱ビジュアルだのといった物差しでしか評価して貰えないことに嫌気がさしてしまったのではないか。新聞記事によると、彼らは「先の事は分からない」と再結成があり得る事を示唆したらしい。世間がビジュアル系などという言葉を忘れた時、改めてLUNA SEAとして復活し、優秀なロックバンドとしての評価を勝ち取ろう、というつもりなのだろうか。
分からなくもないが、だからといって解散までしなくても...と僕は思うのである。
11月10日(金)
既にあちこちのメディアで話題になっているが、今またビートルスの新譜が発売される。題して『The Beatles 1』、英米のチャートで一位を獲得したビートルズナンバーを収録した、文字通りのコンプリート・ベストだそうだ。ビートルスを知らない世代(断わっとくが、僕だってビートルズをリアルタイムでは知らない世代なのだ!)には、通称『赤盤』『青盤』に代わる最適の入門編になるだろうとの事だ。解散から約30年、ジョン・レノン射殺から20年、いまだにビートルズが商売になるという事自体が凄い。
今日、帰りに地元の駅ビルにあるレコード屋を覗いてきたのだが、なんとビルの入口(JR改札との連絡口なので、実際には3階だけど)に、そのレコード屋が出張してきて「ビートルズの新作入荷、世界で一番最初に日本で手に入ります」と貼り紙してCDを売っていたのである。よくビッグネームが新作を出すと、店の外にまで売場を設けて販売していたりするけど、ビルの入口にまで出てくるとは...。椎名林檎や浜崎あゆみの時もここまではしなかったと思う。ほんとにビートルズは商売になるのだなぁ。
店に入ってみると、BGMはビートルズオンリーであった。元々へそ曲がりな僕は、普段だと「けっ!」てな気分になるのだが、さすがにビートルスだとそんな気は起きない。やっぱりいいなぁ、としばし店内で聴き入ってしまった。いくら時を経ても古びる事のない、正にエバーグリーン、やっぱりビートルズって凄いんだなぁ、と思うのはこんな時だ。あとでCD聴こうかな。
店内でジャーニーの新譜を試聴してみた。仲々カッコ良いではないの。一曲聴いただけだが、結構期待できそう。現在のボーカルは確かにスティーブ・ペリーによく似ている。でも、サウンドはジャーニーだ。ベテラン、頑張ってるね。
所で、今やどこの店にも置いてあるこの試聴機、一定時間経過すると自動的に電源が落ちるようになっているのだろうか? ジャーニーを聴いていたら、4分程で切れてしまったのだ。まあ、本屋の立ち読みみたいに粘ってCD一枚丸々試聴されたんじゃ、店側はたまんないよな。