日々の覚書
2001年
12月7日(金)
今週、FMfan2001年26号が発売された。そして、これが今年最終号のみならず、FMfanの最終号となってしまった....
開くとすぐに編集長の「休刊にあたって」というコメントが載っている。読んでいて少々驚いたのは、FMfan以外のFM雑誌も割と近年まで発行されていたこと。週間FMが1990年休刊、レコパルが1995年休刊、FMステーションが1998年休刊、となっている。正直な所、レコパルもFMステーションも80年代にとっくに休刊になったと思っていた。週間FMの休刊が早かったのにも驚き。みんな結構頑張っていたのだ。そして、90年代はラジオ特にFMにとっては受難の時だったという事が改めてよく分かった。ヒット曲はラジオからではなく、テレビやカラオケボックスから生まれる時代になってしまったという訳だ。
この「休刊にあたって」から一部を引用させて頂く。
「今年に入り、80年代から続く部数の減少に加え、オーディオ・メーカー、ひいては日本経済の低迷による広告収入の減少が重なり、発行を続けていくことが厳しい状況となっておりました。最終的に、部数と広告の急激な回復が望めず、将来性がないということから休刊に至ることとなりました。」
「残念ながら休刊するすることになりましたが、それでも素晴らしい音楽は存在し続けます。(中略)憎しみや怒りを超え、文化も場所も時代をも超えて人ひどを感動させ勇気付けることのできる音楽、そして読者のみなさまと私たち編集スタッフを結びつけてきた音楽に感謝し、休刊の言葉とさせていただきます。」
もう何も言うことはあるまい、って感じ。21世紀を迎え、何かが変わりつつあるのだ、という事をようやく僕は感じ始めている。あくまで、個人的なレベルでだけど。でも、世の中もやっぱり変わっている。新聞を見るたびにそう感じる事が多くなった。
たかだか雑誌がひとつ休刊するだけの事かもしれないが、その背景に時代の変化を感じているのは僕だけだろうか。そんな大げさな、と言われるかもしれないけど...
来年はどんな年になるのだろう...
12月5日(水)
既に皆さんご存知のように、ジョージ・ハリスンが11月30日に癌のため亡くなった。ここ数年の闘病生活の末の死である。様々な意味で彼の死に対してやりきれない思いでいっぱいである。
僕はどういう訳か、ビートルズの中ではジョージが一番好きだった。ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2大巨頭の影に隠れ、ファン以外の人には非常に地味な印象しか与えなかったけれど、アルバムに1〜2曲入っている彼の曲に妙に惹かれたのだ。有名な「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はもちろんのこと、「恋をするなら」「アイ・ウォント・トゥー・テル・ユー」「オールド・ブラウン・シュー」「オンリー・ア・ノーザン・ソング」「フォー・ユー・ブルー」といった一般の人だったら聴き逃してしまうような曲が逆に印象に残り、ジョンもポールも凄いけどジョージだって捨てたもんじゃない、と思うようになっていた。やはり、へそ曲がりだったのかな(笑)
ビートルズ解散後は、ジョージのソロを一番熱心に聴いていた。ポールほどヒット曲は多くなかったけど、その優しげな世界に浸るうちに僕にとってジョージ・ハリスンはフェイバリット・ミュージシャンの一人になったのである。彼のアルバムの中では、初めて聴いたせいかもしれないけど、1975年の『ジョージ・ハリスン帝国』が一番好きだ。とてもジョージらしいアルバムだと思う。一般的には『オール・シングス・マスト・パス』が彼の最高傑作ということになっているけど、3枚組というボリュームや豪華なゲスト陣、かなりスワンプっぽい音などに惑わされて、一ミュージシャンとしてのジョージ・ハリスンの姿がぼやけているような感じがする。それより『オール〜』以降の『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』や前述の『ジョージ・ハリスン帝国』、または1979年の『慈愛の輝き』といったアルバムの方が、ジョージ・ハリスンの特性というか個性がはっきり出ているのではないだろうか。こういう曲を書き、こういうサウンドを好み、このようなギターを弾く人なんだよ、という彼の資質がとてもよく分かるのだ。『オール〜』はロック史に残るアルバムだが、ジョージ個人のアルバムとは言い難い。
ジョージが世に送り出した数々の名曲の中でも、僕が最も好きな曲と言っていいのが「ブロウ・アウェイ」である。『慈愛の輝き』収録曲で、シングルカットされてそこそこヒットした。このアルバムは、長い間公私に渡るゴタゴタに悩まされたジョージが初めて子供を授かり、本当の幸せを掴んだ時期に発表されたもので、全てを吹っ切った明るいジョージの表情が感動的だ。彼のキャリアの中でも、この時ほど充実していた時はなかったのではないか、とすら思わせる。アルバムが出た時も湯川れい子氏がライナーでその事について触れ、真実の愛を得ると人間ここまで成長するものなのか、とアルバムを絶賛している。そんなジョージを象徴するかのような曲が「プロウ・アウェイ」なのだ。タイトルが示す通り、イヤな事もコダコダも全て吹き飛ばしてしまえ、と歌う曲だ。この曲を聴くと、自分までが元気になったような気がしてしまう。本当に素晴らしい曲なのである。実のところ、ジョージの訃報を聴いて真っ先に頭に浮かんできたのが「ブロウ・アウェイ」のフレーズだった。病気なんか、ほんとに吹き飛ばして欲しかったのに。
少し話はそれるけど、ロックが誕生して45年近く経過した。つまり、それなりの歴史を持つ音楽になってしまった訳だ。ロックが若者の音楽であった時代は過去のものとなり、アーティストたちも年をとる。必然的に成人病などで亡くなるアーティストも出てくるのだ。今回のジョージ・ハリスンのように。ロック・アーティストの死因といえば、ドラッグ絡みか自殺、というばかりではなくなっている。ロックは年をとった。この現実をかつてのロック少年たちはどのように受け止めるのか。射殺というあまりにもロック的な最期を遂げたジョン・レノンと、癌で死んでしまったジョージ。元ビートル同志の最期はあまりにも対照的だ。もう“伝説”は生まれないのだろうか。
やはり、21世紀を迎え、確実に何かが変わり始めているような気がしてならない。ジョージ・ハリスンの訃報はふとそんな事を感じさせた。
ジョージ・ハリスンよ、永遠に。聞く所によると、彼は亡くなる前にレコーデングしていたマテリアルを自分の死後発表するようにと遺言したそうな。待ちわびていたジョージの新作を、こんな形で聴く事になろうとは...。まだ発表されるかどうかははっきりしないらしいけど。
心よりご冥福をお祈り致します。
11月18日(日)
気が付けば、11月も半ばを過ぎている。あと一ヶ月半で2001年も終わりという訳だ。早いものだ。そろそろ忘年会の計画を進めなければ(笑)
今回は、先日見てきた(11/13)エルトン・ジョンのライブ・レポートをお届けします(笑)長いですけど、最後までお付き合い下さい。
エルトンの(ソロでは)6年振りの来日コンサート、東京会場は前回と同じ日本武道館。余談ながら、僕はエルトンのコンサートを2回見ていて、1回目は1995年の2月場所は日本武道館、2回目は1998年3月ビリー・ジョエルとのジョイントで場所は東京ドーム。ビリー・ジョエルと一緒だとドームで、単独だと武道館かよ、とエルトンが僻んだりしないだろうか、なんて妙な心配をしていたが(笑)とにかく、この日の武道館は満員で、この観客の数を見ればエルトンも機嫌を直すだろう、などと思いながら場内を眺めていた。最近、外タレが客を集められないのか、来日コンサートの会場がどんどん小さくなっていく中、ドームとはいかないまでも武道館で公演が出来るエルトンはやはり日本でも人気が高いのだろう。しかも、追加公演も出たし。黄金期はとうに過ぎたとはいえ、ファンとしてこの人気振りは非常に嬉しい。客層がグッとアダルトなのも良い。若い人もいたけどね。
さてさて、そのコンサートだが、定刻の19:00を少し過ぎた頃、場内の明かりが落とされ、歓声の中聞こえてきたのは聞き覚えのある風と鐘の音。そしてシンセによるメロディ...なんと、「葬送」ではないか!まさかこの曲がオープニングとは...そしてバンドのメンバーが一人また一人とステージに姿を現す。見覚えのある顔...デイヴィー・ジョンストン!そしてナイジェル・オルソンもいる!!もしかしてパーカッションはレイ・クーパーだったりして、なんて思ったがこちらはさすがに別人だった(笑)バンドはG,Bs,Key,Ds,Percの5人。思ったより少ない。そして大歓声と共にエルトンが登場。場内東西南北に満遍なく挨拶をしてからピアノの前に座り、バンドと「葬送」の演奏を始めた。そして、そのまま「血まみれの恋はおしまい」になだれこんでいく。意外と言えば意外だが、納得といえば納得のオープニング。エルトンの喉が心配だったけど、かなり力強い歌を聴かせてまずは一安心。一曲目が終わると、アリーナは既にスタンディング・オベーションで、エルトンも立ち上がって応え、なんだかアンコールみたいな雰囲気(笑)「今日は古い曲も新しい曲もやるよ、まずは古い曲から」というMCに続いてエルトンが弾き始めたのはなんと、「僕を救ったブリマドンナ」!!もしかしたら、僕が一番好きかもしれない曲を生で聴けるとは...それも2曲目で...実に感動的、“Thank God,my music is still alive”感動的な歌詞が武道館に響きわたる。個人的には、これで満足してしまいました(爆)続いて「ベニーとジェッツ」「フィラデルフィア・フリーダム」を演奏。ここいらは定番だな。「ベニーとジェッツ」でのエルトンのピアノはいつ聴いても素晴らしい。
ここで、新作からの曲を披露。「赤い靴の少年のバラード」いい曲だな。原曲のストリングスを再現するシンセも仲々。このシンセ奏者はストリングスやブラス・パートを再現する為にいるようだが、実に見事な仕事振りでした。そしてブルース・タッチの「ウェイストランド」ブルースも得意というエルトンが熱演を見せた。続いてまた古い曲、まず「ロケット・マン」またまた感動してしまいました(笑)後半からエンディングにかけてのエルトンのピアノがまた実に素晴らしい。エルトンのライブは歌だけでなく、ピアノも聴かせるのだ。続いて「ダニエル」、この曲意外と言ったら失礼か、結構ウケが良くてイントロを弾き始めた段階で場内割れんばかりの拍手であった。前回もそうだったけど、日本では特別人気のある曲なのだろうか?名曲だから当然なんだけど。そしてまたまた定番の「ブルースはお好き?」こういう曲だと、バンドと一体になってノッているのがいい感じ。
新作からの「ディス・トレイン」をしみじみと聴かせた後、「次の曲はキャプテン・ファンタスティックから」とのMCがあり、演奏されたのはなんと!「ミール・ティケット」!!意外や意外、アップテンポのロック・ナンバーなのだが、過去にエルトン自身がライブでやった事あるのだろうか?いやぁ〜、驚いた、良かったけど(笑)そしてまた新作より「アイ・ウォント・ラブ」これも新たなエルトンの名曲だ、聞き惚れてしまった。続いて、ザ・バンドみたいなイントロの「バーズ」を演奏し、古い曲に戻って「カントリー・コンフォート」そして定番中の定番「パイロットへ連れていって」、ここいらになるとバンドが素晴らしいノリの演奏を聴かせる。「パイロットへ連れていって」のエンディングなんて仲々カッコ良かった。
ここで一息ついてメンバー紹介。やはり、デイヴィー、ナイジェルの二人にはひときわ大きな拍手が送られた。そして「モナ・リサ・アンド・マット・ハッターズ」をしみじみと歌い、一時間半くらい過ぎてたし、もうそろそろ終わりかな、と思ったら「次はマッド・マンから3曲」なんて言って、「ホリディ・イン」「可愛いダンサー」「リーヴォン」を続けて演奏。後の2曲はともかく、「ホリディ・イン」は意外だった。ダイナミックの演奏が素晴らしかったけど。それにしても「可愛いダンサー」はやっぱ名曲だな。
続いて、新作から「アメリカン・トライアングル」「オリジナル・シン」。どちらも素晴らしいメロディの曲だ。古いヒット曲に混じって聴いても全く違和感なし、エルトンは相変わらず素晴らしい曲を作り続けている事の証明である。凄い。そして「そろそろテンポを上げていこうか」と定番のノリノリ・ナンバーが繰り出される。まずは「アイム・スティル・スタンディング」続いて「ビッチ・イズ・バック」(この曲ではギターの調子が悪く、デイヴィーは途中でギターを交換していた。こんな光景が何回かあったのが残念だ)、そしてとどめは「土曜の夜は僕の生きがい」、もうアリーナは総立ち、非常に盛り上がっていた。えっ、僕ですか? 2階スタンド席で立ち上がるのは怖かったので、座ったままでした(笑)
コンサートはここで一旦終了。もう2時間過ぎていた。アンコールを求める拍手に応えて再びステージにエルトンが現れ、ついに歌い出したのが「ユア・ソング」、エルトン自身この曲を出してからライブで歌わなかった事はない、という不朽の名曲、何度歌っても何度聴いても飽きるという事のない奇跡の名曲なのだ。この時も鳥肌たちました。ほんとに、なんて素晴らしい曲なんだ、“How wonderful life is,while you’re in the world”歌詞も素晴らしい、武道館を埋め尽くした1万人も皆同じ気持ちだったろう。そして「クロコダイル・ロック」を歌って終了。2度目のアンコールでは「僕の瞳に小さな太陽」そして前日の大阪公演では歌わなかったという「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」で幕。3時間弱、28曲にも及ぶエルトン・ジョンのコンサートは素晴らしい余韻を残して終わったのでした。
とにかく、大満足。ファンならずとも楽しめたのではなかろうか。前述したようにエルトンの喉がもたず、もしかしたら一時間ちょっとで終わってしまうのでは、なんて心配していたが、そんなことは微塵も感じさせない歌いっぷりだった。去年の暮れに出たライブ盤では、高い音が出ずコーラスの人にサビを歌って貰ったりする情けないエルトンの姿があったが、今回は全くなし。実にプロらしくて、カッコ良かったです(笑)欲を言えば、新作から7曲もやってくれたのは良かったけど、古い曲というと70年代の曲ばかりになってしまうのはちょっと、という気もする。80年代、90年代の曲もやって欲しかったな。あれだけ素晴らしいライブを見せて貰って、贅沢ってもんですけど(爆)
あと、地味ながら腕利きを揃えたバンドの演奏振りも素晴らしい(特にベース)。個人的には、ナイジェル・オルソンってあまりいいドラマーとは思わないんだけど、長年エルトンと一緒にやってるだけにツボは押さえてる、という感じはした。シンセの人を除く4人によるコーラスもバッチリ決まってたのも素晴らしかった。やはり、いいライブはいいバンドあってこそ、エルトンも満足だろう。
これだけでは書ききれないほど、素晴らしいコンサートでした。これ以上長くなるとまずいので(爆)、またの機会にでも。最後までお付き合い頂いてありがとうございました(笑)
10月26日(金)
10日振りの更新は、またまたFMfan休刊にまつわるネタである。
今日、FMfan最新号を買った。一番最後の「編集後記」にあたるページに今年の最終号をもってFMfanが休刊する旨が記されていた。“1966年6月の創刊以来、音楽を愛する皆さまに支えられながら発行してまいりましたが、エアチェック人口の減少、昨今のオーディオ業界の低迷など、さまざまな要因が重なり、発行を続けることが難しくなりました。”とある。やはり、何かの間違いなどではなかったのだ。
でも、僕のようにエアチェックもしない、オーディオ・マニアでもない読者もいたのになぁ...残念だ。
前回書き忘れていたが、FMfanといえば表紙が素晴らしかった。その時の話題のレコードのジャケットを表紙に使っていたのである。下半分がジャケットで占められた表紙は、見た目の印象度といい、アートワークの素晴らしさといい、とにかく本屋でもすぐ見つかったものだ。それだけ目立っていた。数年前から、ジャケットを表紙に使う事を止め、歌手のポートレイトなどが表紙を飾るようになってから、他の雑誌と見分けがつかなくなってしまったのは残念だった。
当時(約20年前)、読者の質問コーナーで表紙にするアルバム・ジャケットの選択基準は何か?という問いに対して、編集部は「話題性と芸術性」と答えていた。ふむ、なるほどと妙に納得したものだ。70年代の頃のアルバム・ジャケットって、各ジャンル共今とは比較にならないほどアートワークに優れたものが多かったし、それらを大胆に使った表紙はくどいようだが素晴らしくて、表紙が楽しみでFMfanを買っていたと言っても過言ではない。
思い出してみると、70年代はクラシック、ジャズ、ロックとあらゆるジャンルのジャケットが表紙を賑わせていたけど、80年代以降はロック、ポップスのジャケットが目立ったように思う。レコード業界の勢力図ともリンクしているような気がして興味深い。そういえば、我がクイーンも表紙に採用されたことが4回程あった。『オペラ座の夜』『グレイテスト・ヒッツ』『ホット・スペース』『ザ・ワークス』の4枚だったと思う。なるほど、『ザ・ワークス』以外は秀逸なアートワークだ。見る所は見てるな、って感じ。
当時(これも25年くらい前の話だが)、読者欄で、“オハイオ・プレイヤーズのジャケットを表紙に使って欲しい”なんて投書があったのを覚えている。女性のセミヌード写真を使ったセクシーなジャケットで有名だったオハイオ・プレイヤーズなんか表紙にしたら、下手すりゃ発禁処分だったかも(笑)
なんだかんだ言っても、FMfanが休刊してしまうのは事実である。なんと悲しいことか。自分の人生の1ページに幕を降ろされてしまうような気すらする。
こうなると、いよいよもってバックナンバーは捨てられないな(爆)
10月16日(火)
今日会社の帰りに立ち寄った本屋で、ショッキングなニュースを目にした。なんと、あのFMfanが休刊になるらしいのだ。正に、え〜っ、うっそ〜、って感じ。何故休刊してしまうのだろう。売れなかったのかな。とにかく、今年の12月から休刊するのは間違いないらしい。出版元の共同通信社のホームページを見てみたが、それらしい記事は掲載されていなかった。
思い起こせば、僕がFMfanを知ったのは中学一年の時だった。叔父さんの家にあったのを見て、これは便利だと買い始めて、もうかれこれ26年間も購読し続けている。買いそびれたのは一号だけで、あとは休まず読み続けてきた。最初の頃は、FMの番組表が目的で、一生懸命赤ペンで線をひいてはオンエアを指折り数えて待ち、せっせとエアチェックに励んだものだ。
そのうち、FMをあまり聴かなくなり(少なくともエアチェック目的では)、僕にとってFMfanは番組表目当てから音楽情報誌へと変化した。湯川れい子、大貫憲章といった著名ライターによる新譜紹介のコーナーがどんなに貴重だったことか。有名アーティストのものはもちろん、メジャーな音楽誌が取り上げない新譜も紹介していたのが有り難かった。湯川、大貫両氏は今でも新譜紹介コーナーで執筆を続けている。
連載記事も楽しみにしていた。一番印象が強いのは、1976年に連載されていた福田一郎氏による「ミリオン・セラー物語」。アメリカでミリオン・セラーに認定されたヒット曲に関するエピソードを紹介する記事だったが、音楽を聴き始めたばかりの僕にとっては、どれも新鮮に感じられ、むさぼるように読んだものだ。ブラッド、スウェット&ティアーズ、ロバータ・フラック、リンゴ・スターなどのエピソードが印象的だった。そういえば、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が紹介されていた事もあった(1976年当時、ミリオン・セラーを記録していたのだ!)。
また、1980年頃からビルボードのシングル及びアルバム・チャートを掲載するようになったのも嬉しかった。年間チャートの時期が楽しみだったものだ。あと、1992年頃から連載されていた「スーパー伝説」も興味深かった。毎回一人のアーティスト(グループ)を取り上げ、そのキャリアと共に現在での評価などを紹介していくものだが、既に年期の入ったロック・ファン(?)になっていた僕は、時の流れを痛切に感じつつ読んだものだ。単行本(ムック)になった時、全部買いました(笑)資料本としても貴重である。
その他変わったところでは、カセットレーベルが毎号載っていた時期があり、ページごと切り取って利用させてもらった。僕のカセットテープはほとんどこのFMfanのカセットレーベルで着飾っている(笑) ありきたりな写真ばかりでなく、様々な分野のイラストレーターやフォトグラファーにデザインを依頼したカセットレーベルは、斬新かつユニークなセンスに溢れ、見ているだけでも楽しかった。載せるのをやめた時は本当に残念だったな。
ふと気が付けば、FMfanの思い出だけで、こんなに書いてしまっているではないか! それだけ僕の音楽生活と密着した雑誌だった訳であり、それが無くなってしまうなんて、こんな悲しいことはない(休刊とは言ってるけど、事実上廃刊だろう、もちろんまだ未確認だけど)。地味だったけど、やはり僕の青春の一部を形成していたのだろうか。
FMfan休刊...とにかくショッキングで悲しいニュースである。できれば、何かの間違いであって欲しい。
10月11日(木)
唐突だが、僕はよく寝るタイプである。通常だと12時過ぎに寝て6時半頃に起きる生活を続けているが、一度眠りについてしまうとちょっとやそっとでは起きない。それこそ、地震があっても気づかないくらいだ。夜に限らず、昼間でも電車やバスに乗ると寝てばっかりいる。不眠症とかいった言葉にはまるで縁がない。世間には、睡眠導入剤を飲まないと眠れないという人も多いようだが、正直な所まるっきり別世界のような話である。
悩み事、心配事があると眠れない、という話もよく聞く。これは少しは分からなくはないが、僕の場合はあまり関係ない。何故かというと、そういう時ほど余計に寝てばっかいるのだ。思い返すと受験生の頃、試験が終わり続々と合格発表が行われるのだが、僕は受けた大学が片っ端から不合格だった。心労続きだった訳だが、その時も僕は来る日も来る日も寝て過ごしていた。昼も夜も自室で寝ていたのだ。受け入れたくない事実を寝ることによって避けようとしていたのだろうか。今でもその傾向は変わらず、イヤな事がある時ほど眠くなって早く床に入ってしまったりする。
これはもしかすると、一種の自己防衛なのだろうか、と考えてしまったりする。ショックな事を聞かされたり目撃したりすると失神したりするが、これは精神の安定を保つ為の自己防衛機能なのだそうだ。これ以上ショックを受ける事により、ブッ壊れてしまわないように失神して後は聞かない、見ない事にする、という訳なのですね。イヤな事があると眠くなる、というのも何となくこれに似ているような気がしませんか?
これが本当なら、僕は常に心労ばかり抱えているように見えるが、別にそういう訳ではない。機嫌が良い時だってある訳で、でもそういう時にもよく寝ているのだ(笑) しかし、心労が多い時に自己防衛の手段として寝てしまう、というのは頷ける話ではある。
結論・・・どんな時でもよく眠る、というのはやはり心身共に健康なのだろう(実に当たり前の結論で申し訳ない)
9月14日(金)
アメリカではテロの影響で、大リーグの試合が中止されたまま、再開のメドが立っていないという。ワールドシリーズも下手すると今年は中止かも、なんて声も聞かれる。たくさんの人が集まる場所はテロの標的になりやすい、との判断らしいが、娯楽を奪われてしまったアメリカ人は恨み骨髄だろう。このテロの余波はアメリカのみならずヨーロッパにまで及び、今月予定されていたサッカー欧州チャンピオンズリーグが10月に、UEFAカップも一週間程延期になった。テロの犠牲になった人を悼む為とのことだが、楽しみにしていた人も多いだろうし、テロリスト達はアメリカ及びヨーロッパ全国民を敵に回す事になってしまった、という事になる(笑)
スポーツといえば、最近気づいたのだが、今日本のプロ野球がセパ共に面白い事になっている(ま、一応僕もドラゴンズ・ファンなのだが、ドラゴンズはともかく年々プロ野球に対して関心が薄くなる一方で、今年はろくに見ていないのだ)。セ・リーグは昨年圧倒的な戦力で優勝した巨人が今年も突っ走るかと思いきや、意外とヤクルトが大健闘、昨日現在でマジック15として、4年振りの優勝が手の届く所に近づいている。テレビに登場する野球評論家たちは巨人贔屓ばかりなので、まだ(巨人が優勝する)可能性はある、なんてふざけた事を言ってるが、負け数はヤクルトが11少なく残り試合はヤクルトが9多いという状況を考えると、ヤクルト優勝はほぼ間違いないのでは。じっくりと育ててきた若手が開花したのが、今年のヤクルト好調の要因だろう。金権球団に是非一泡吹かせてやって欲しい。
そして、パ・リーグが、セに輪をかけて面白い事になっている。昨日現在、近鉄、西武、ダイエーの上位3チームが0.5ゲーム差の中にひしめく、という混戦状態になっており、はっきり言って優勝はどこになるか見当もつかない。ここまで面白い状況にした一番の立役者は、なんといっても昨年最下位だった近鉄なのであり、中村、ローズ、磯部らのバットで打ち勝ってきていると、いうのがまた小気味よい。いてまえ打線復活、なのである。
近鉄が今年快調なのは何故か、先日スポーツニュースで中村選手にインタビューしていたが、そこで彼は大変興味深い事を言っていた。ご存知の通り、彼は昨年シドニーオリンピックに出場した訳だが、結局メダルを獲れずに終わってしまった。その3位決定戦に敗れた瞬間、悔し涙が溢れてきたという。こう言っては何だが、中村選手がプロに入って以降、試合に負けて泣く、なんて事は経験ないはずだ。ほとんど優勝争いに絡むことなく、個人成績しか頭にない状態で野球をやってきたのであろうし。その彼が試合に負けて涙した。負けることの悔しさを身に滲みて感じた。その経験が今年は生きているという。捨て試合、消化試合なんて考えない、一試合一試合を無駄にしないこと、一球・ワンプレーを大事にすること、それだけを考えて今年は試合に臨んでいるそうだ。チームリーダーである彼の野球に対する姿勢が、他の選手にも伝染し、今年の近鉄は決して諦めない、ねばり強いチームになり、優勝争いにも絡んできている訳だ。
はっきり言って、日本のプロ野球選手はぬるま湯の中で試合をしている。まともな選手ならこんな状態で長くやっていられる訳はない。だから、イチローはアメリカへ行った。松井も後に続くだろう。日本のプロ球団は、人気選手の引き留め工作に頭を使うより、このプロ野球の現況を何とかするべきだ。
中村選手の言葉を聞いて思った。やはり、日本の選手も緊張感の中でプレーすべきだ。その為には、やはりワールドカップだろう。プロ・アマ関係なく、最高の選手を集めた日本代表チームを作り、アメリカ、キューバをはじめとする強豪チームと闘うのだ。だいたい、国際試合をほとんどやらないスポーツなんて、野球くらいではないのか。日本野球のレベルアップ、野球人気の拡大、国内リーグの活性化を狙うならこれしかない。サッカーを見なさい。ワールドカップに出場したことで、確実にレベルを上げてきた。野球も続くべきだ。いつまでも井の中の蛙ではいけない。ホントに、野球をやる少年がいなくなってしまうよ。
という事で、ベースボール・ワールドカップの実現を熱望するものである。
9月13日(木)
いやいや、とんでもない事が起こっている。もちろん、アメリカの同時多発テロの事だ。ブッシュ大統領が発言したように、これはもう戦争である。日本もこの戦争に巻き込まれる可能性大だ。どうなってしまうのだろう。しかし、今回のテロ行為、周到に計画された組織的犯罪であろうが、犠牲になった人、特に標的に突っ込んでいった旅客機に乗り合わせた人たちの事を思うと、なんともやりきれない。この手の話題は当サイトにはふさわしくないと思うのでこれ位にしておくが、僕は思う。断じてテロは許すべきでない。今回の事件に関わった全てのテロリストたちは断罪されるべきである。以上。
話は180度変わるのだが、当サイトも開設以来一年九ヶ月ほどが過ぎ、トップページのカウンターがもうすぐ10000ヒットを記録しようとしている。間違いなく今月中には到達するだろう。カウンターが付いて以来一年半ほどでの大台到達だ。10000ヒットくらい、開設一ヶ月で達成してしまったよ、なんて方も多いだろうが、うちのようなある種マニアックなサイトが、ここまでコツコツとカウンターの数字を積み上げてこれたというのは本当に感慨深いものがある。皆様のおかげです。心からお礼申し上げます。
ホームページは持続させるのが大変だとは聞いていたし、自分でやってみて実感している。一月に10〜15回位更新しているので、3日に一回位の更新ペースだが、正直言ってこれが多いのか少ないのかよく分からない。毎日更新するという人もたくさんいるし、決して多くはないだろう。しかも、更新してるのはこの「覚書」と「お気に入り」くらいで、あとは横浜FCの試合のスコアを書き込んでいるだけなので、実質的には週1〜2回程度の更新ペースということだ。アフター5は適度にヒマなサラリーマンにとっては、それほど大変な数字ではない(笑)
ま、それでもレイアウトとか表紙とかはちょいちょい変えた方が良いのかな、などと思ったりもする。年に3回位変えてる人もいるし。うちは、開設以来ほとんど変えていないので、頻繁に訪問して下さっている方の中には飽きてしまった、という方もおられるかもしれない。変わらない方が安心出来る、という方もいらっしゃるかも。ちなみに、僕個人はサイトのデザインがしょっちゅう変わるのはあまり好きではない。一瞬アドレスを間違えたのか、なんて思ったりするし。ま、これはあくまで他人のサイトに関してであるが。
あれこれ考えてはいるものの、レイアウトを変える、なんて正直面倒だな、なんて思っているのも事実である(笑) あまりアイデアもないし。新企画のアイデアはいくつかあるんだけどね(笑)
ま、とにかく、当初のコンセプト通りにサイトを続けてこれて、支持して下さる方もいらっしゃる。10000ヒットを達成したらば次は100000ヒットを目指して、自らも楽しみながら数多くの人に楽しんで貰える様、一層の努力を続けていくつもりです。皆様、今後ともMFCをよろしくお願い致します。
8月25日(土)
2001年の夏ももう終わりである。
夏といえばやっぱり“湘南”なのである。ご存知の方もおられると思うが、僕は世間で“湘南”と呼ばれている地域に住んでいる。住んでいる人間からすると、別にどうという事のない普通の土地なのだが(それどころか、少し遅れてる)、余所の人からすると「わぁ、いい所に住んでるのね」という事になる。この「いい所」というのがポイントだ。明らかに、田園調布や銀座や原宿や苗場とは違ったニュアンスが込められている。
世間の人は、“湘南”にかなり特殊なイメージを抱いているようだ。どこまでも続く青い空、太陽を浴びてキラキラと輝く海、サラサラの髪をなびかせ笑うと日焼けした顔に白い歯がキラリとこぼれるサーファー達、沈む夕陽をバックに白い砂浜で愛を誓うカップル...きっと、こういったものを“湘南”と聞くと思い浮かべているのである。海岸道路と浜辺の間には防砂林があって、ドライブしながら海を見ることは不可能だとか、そんなことは全然考えていない訳だ。当たり前だけど。
“湘南”といえば、サザン・オールスターズな訳であり、彼らの曲を聴いて“湘南”に対してあらぬ妄想を膨らませている人も多いのである。確かに、サザンの(というか桑田佳祐の作る)曲には、「茅ヶ崎」「江ノ島」「パシフィックホテル」「烏帽子岩」等々ローカルな単語が頻繁に登場し、それが“湘南”のイメージを刺激するのだ。ただ、僕が思うにこれは全国どこにでもあるご当地ソングみたいなもので、本来なら地元民だけにウケるもののはずである。でも、思いっきりローカルでも“湘南”なら許して貰える。実に不思議だ。
サザンやチューブといったバンドの音楽を“湘南サウンド”なんて呼んだりする。古くは加山雄三もそう呼ばれた。しかし、彼らのサウンドには共通するものがあまりない。サザンはともかく、チューブはサウンドでなく歌詞に夏っぽい言葉を散りばめているだけで、つまり音が夏しているのではなく、歌詞が夏しているのである。ならば“湘南ソング”とでも呼ぶべきで、“湘南サウンド”ではなかろう。
この“湘南”という言葉ほど、マイナスイメージが感じられないのも珍しいのではないか。商品名に“湘南”と入れると売り上げが全然違うという。全国どこへ行っても、そんな威力を持つ地名なんてなかろう。しかも、その“湘南”というのは地図に載っている地名ではなく、単なる通称なのだ。それこそ、地元民にしか通じない呼び名なのに、全国的になってしまっている。
何故、日本人は“湘南”に憧れるのか? ウェストコーストに意味もなく憧れてしまうのと同じなのだろうか? それとも、やはりブランド好きだからなのだろうか?
8月17日(金)
今日いつもの通り外回りに行く為、バスに乗った。車内は座れなかったけど、満員というほどでもなく、これまたいつもの通り、バスの後部に向かって立っている乗客をかき分け進んで行くと、一番後ろの席に座っていた知らないオジさんがいきなり声をかけてきた。
「おい、ここ開いてるよ。座んなさいよ」
見れば確かにオシさんの隣に一人分のスペースが開いており、オシさんがそこを指さしている。せっかくなので、礼を言って座らせてもらった。
「同じ金払って乗ってるんだから、座らなきゃ損だよ」
まったく仰る通りです。しかし、このオジさん、ひどく酒臭い。
「いゃ〜、昼間っから酒飲んでんだよ。これからまた飲みに行くんだ。で、帰って来たら高校野球、横浜の試合見なきゃ」
もう既にリタイヤして、悠々自適って訳か。
「35年勤めた会社を定年になってね。配管工やってたんだよ。引退しても引く手あまたなんだけど、一週間でクビになっちゃうんだ」
どういう事だ?さては、酒癖が悪いのか?
「頭に菌持ってるんだ。前の会社で事故があってさ。それがバレると、辞めて下さいとなる」
何か、意味不明だな。頭でも打ったのかな。でも、頭がおかしい感じじゃないよな。普通に喋ってるし。
「別に安い金で働かなくてもいいんだ。前の会社から障害保険で月30万貰えるしな」
そりゃ、凄いや。確かに働かないでもいいな。昼間から酒飲んでられる訳だ。
「俺腕が良かったから、若い頃からバリバリ稼いで、28の時に家建てたんだよ。その後も、少しづつ買い足して今3000坪あるんだよ」
げっ、資産家じゃん。そうは見えないけど。それにしても3000坪は凄い。
「息子にも敷地の隅っこに家建てていいよ、って言ってるんだ。だけど金がねぇ、なんて言いやがる。それ以上は俺もしてやんねぇよ。」
ごもっともです。土地があるだけでも、違うもんな。
「俺もこの土地に長いから、ここいらの奴はみんな知ってるよ。そこの中華料理屋だって、いつもいい肴出してくれるんだ。昼間から酒飲んでるって、ここいらでも有名だよ。あっ、ここで降りるんで。それじゃ」
結局、このオジさん(65歳だと自分で言ってた)は、見ず知らずのはずの僕を相手に一人で喋ってバスを降りていった。一体何だったのか? 一見してアル中とかいう感じはない、普通のオシさんだったけど。単なるおしゃべりか。それにしても、3000坪の土地持ってて月30万の障害保険が貰えて、頭が深刻な状態でなければ悠々自適だ。結構今の生活を楽しんでいるように見えたけど...。
人生いろいろ、なんだな(笑) しかし、また会っちゃったらどうしよう???
このオジさんにペースを乱されたのか、今日はこの後、自販機でタバコを買って釣り銭を取ってくるのを忘れてしまったり、雑誌に熱中してあやうく電車を乗り過ごしてしまうなど、普段はしないような事を色々やってしまった(笑) 気をつけよう。