日々の覚書



2002年
3月16日(土)

 いきなり関係ない話で恐縮だが、僕の担当しているユーザーの事務所に美人がいる。先日、その会社を訪問した際、彼女と会話をする機会に恵まれた。会話といっても、

 「○□さん、いらっしゃいますか?」
 「ちょっと見てきますので、お待ち頂けます?」

 と、この程度だが、その日一日非常に幸せな気分だった(笑) 世間はどこも不景気で暗いニュースばかり、せめてこういう事でもいいから気持ちを明るくしたいものだ。

 という訳で、本題に入る(笑)

 最近、80年代の洋楽が注目されているらしい。ホール&オーツの1981年のヒット「プライベート・アイズ」がCMに使われて評判となり、タイミング良く発売されたベスト盤が好セールスをあげたのがきっかけらしいが、80年代の洋楽という事なら忘れてはならないムーブメントがあった。そう、“産業ロック”である。

 先日、うちでもリンクさせて貰っているtksさんのサイトのBBSで、産業ロックって何だ?、ってな書き込みを見つけた。彼のサイトの常連さんはうちと違って若い人が多いので(笑)、やはり知らない人もいるらしい。もちろん、MFCの常連さんたちは皆さんご存知でしょうけど、ここで産業ロックとは何か? という事について簡単におさらいしておく。

 産業ロックとは70年代終わり頃から80年代にかけてヒットチャートを賑わした、キャッチーでコンパクトなロックを総称する言葉である。命名者はおそらく当時のロック少年たちに多大な影響を及ぼした渋谷陽一氏と思われる。代表的なバンドはフォリナーとジャーニーである、と言えばその傾向がお分かり頂けるだろう。この2バンドにスティクスとTOTOを加えて“産業四天王”なんて呼んだりしていた(これは渋谷氏が言った訳ではない)。ま、音楽性・人気度・ヒットの数などから見て、この4バンドが産業ロックを象徴する存在だった事には異論はなかろう。

 事実、産業ロックの特徴として挙げられるものの全ては、この4バンドに当てはまると言っていいだろう。メロディが覚えやすいこと、曲があまり長くないこと、キーボードの比重が高いこと、あくまで歌中心であること、といった所が音楽的に見た産業ロックの特徴だが、プログレ出身者が意外と多いこと、バンド内にこれといったスター(カリスマ・ボーカリストとかギター・ヒーローとか)がいないこと、80年代に活躍した割には意外とプロモーション・ビデオが面白くないこと、てな特徴もある。特徴と呼べるような特徴ではないものもあり、見方によってはどれも没個性的バンドではないか、と言えなくもない。

 しかし、こうしたバンドがヒットチャートを席巻したのは事実であり、その反動で本格派を自認するファンからは、売れ線狙いとか女子供向けとか精神のないロックとか、さんざんバッシングされた。こうした一部のロックファンによるマイナス評価のみが今に至るまで残っており、産業ロックという言葉はいつの間にか否定的に使われるようになってしまったのだ。実際、前述のtksさんのBBSでも、知らないという割には否定的コメントが多く見受けられた。産業ロックは、こうした経緯を経て、当のバンドたちが失速していくのと同時に歴史の中に埋没させられてしまったのだ。まるで思い出したくない過去の写真を金庫に入れて鍵をかけ、その鍵を海に捨ててしまうように。

 何故に、産業ロックはこのような扱いを受けねばならないのだろう。売れるのが悪い、というのならビートルズはどうなるのだ。このバンドこそ、ロックが商売になることを実証してみせた張本人ではないか。また、フォリナーにせよジャーニーにせよ、ブルースやR&Bの匂いはせず、ルーツ的な雰囲気も全くない。クラプトンあたりを師と仰ぐブルース信奉者からはみれば不満かもしれないが、ならばイエスやクリムゾンなども批判されてしかるべきだが。そうか、精神性の問題か。こういう事言う連中はえてしてジム・モリソンを神格化しているのだが、彼がセックス・シンボルと呼ばれドアーズがヒット曲を出す事のプレッシャーの下でレコードを作っていたという事実には目をつむっていたりするのだ。何々、彼らの音楽は目新しい物が感じられないって。そうかもしれないね、だったらあからさまなブラック・ミュージックのコピーだったUKソウルなどはどうなるのかね。ま、確かに言い分は分かるよ。ただ、そういった産業ロックへの批判は、対象を変えればいつの時代にもあった事だ。この世界では、常にバッシングされる存在が必要なのだね、きっと。

 ロックはその誕生以来、様々に形を変えてきた。基本的には何をやってもいい、というのがロックの精神である、と僕は思う。あとは聴き手がどう感じるか、だけなのだ。フォリナーやジャーニーが嫌いだというのは仕方ないと思う。しかし、70年代以降ロックが一般に浸透し、リスナーが拡大され年齢層が広がった。ロックは決して一部の若者だけの物ではなくなったのだ。そんな中で、もっと親しみやすいロックを聴きたい、という人がいて、そういう音楽をやろうとしているミュージシャンがいれば、需要と供給の関係により、産業ロック的なものが登場するのは当たり前ではないか。産業ロックはいわば、時代の必然だったのだ。ロック史的に見ても、ひとつのムーブメントであり、決して無視しても構わないものではない。好き嫌いはともかく、その辺はロック・ファンを自認するなら、きちんと認識すべきだ。

 フォリナーもジャーニーも、聴き手を選ばない、とっつきの良さと曲の良さで売ったバンドだ。彼らの曲は今聴いても決して古びていない。同じ80年代でも、一時期大流行したエレクトロ・ポップ系が現在の耳では古臭く聞こえるのとは対照的だ。長年不当な評価を受けてきた為に、特に若い世代には認識されていないが、とても音楽的クォリティが高いのだ。精神性云々もいいが、もっと彼らの音楽を単純に評価して欲しいと思う。ただ、代表曲だからといってバラードばかりクローズ・アップされても困るけどね(笑)

 80年代の洋楽が注目を集めているという今、産業ロックに対する世間の誤解と偏見を解く絶好のチャンスである。若い人はもちろんだが、大人になった当時のロック少年たちにも新たな気持ちで聴いてみて欲しいと願っている。きっと新しい発見があるはずだ。つまらん意地は捨てよう(爆)



2月20日(水)

 冬といえば風邪の季節なのであり、インフルエンザの季節なのである。

 僕自身は、今年はどういう訳か調子が良く、全く風邪をひかずにここまで来たが、さすがに2〜3日前から風邪気味である。僕の風邪のパターンは2つあり、咳が出て喉が痛くなり鼻がつまる、というタイプと(これは割と軽いが長く続く)、もうひとつは頭がポーッとして身体のあちこちが痛み寒気がする、というタイプだ(こちらは薬飲んで寝ていればすぐ良くなることが多い)。今は2パターン目のほう、頭が少しポーッとしている状態だ。朝晩薬を飲んだりしたので随分良くなったけど、まだ完治した訳ではない。

 いつものことだが、風邪をひくと健康の有難味が分かる。早く治したい。

 どこかで聞いたのだが、人間、一年に一回くらい風邪をひいて身体の中の悪い物を出し切ってしまった方が良いそうである。この話を聞いて筒井康隆の「薬菜飯店」という短編を思い出した。主人公の“おれ”が町中で見かけた薬菜飯店という看板を掲げた店に入り、薬菜料理を食べまくって身体の中の悪い物を出し切ってしまう話である。当然筒井康隆なので、その身体の中の物を外へ出す描写が凄いのだ。鼻水、汗はもちろん、涙、ゲロ、大小便、はては精液に至るまで主人公が体外へ出しまくる(もちろん苦しみにのたうち回りながら)のを、リアルかつグロテスクに描いていて、とても食事中には読めないという代物である(笑) その凄い描写を引用出来たらいいのだが、あいにくと手元にない。興味ある人は是非読んでみて欲しい。新潮文庫から出てたはず。で、確かに気持ち悪いのだが、読んでいるうちに、これだけ出しまくったらさぞかし気持ちいいだろうな、なんて思えてくる。風邪をひいて体調が優れない時、いつも僕はこの「薬菜飯店」を思い出してしまうのだ。悪い物を小便やら大便やらで全て出してしまったら、ほんとにすっきりするだろう。

 ま、とにかく、早く風邪治そ。



2月10日(日)

 気がついたらソルトレーク・オリンピックが開幕していた。速報によると、女子モーグルの里谷多英選手が銅メダルを獲ったそうだ。おめでとうございます。僕自身はオリンピックとなるとメダル、メダルと騒ぐ風潮がどうも気に入らないが、それでも日本人選手の健闘は嬉しい。そこまでへそ曲がりではないよ(笑)

 所で、企業、銀行から自治体に至るまで、不景気のせいか合併流行りだが、なんと僕の地元である茅ヶ崎市にも合併の話があるらしい。茅ヶ崎市の他、近隣の藤沢市・平塚市・寒川町・大磯町・二宮町(思いっきりローカルな名前ばかり並べてすみません)の3市3町を合併してひとつの市にしようというものだそうだ。目指すは政令指定都市だとか。

 しかし、驚いたな。とある調査によると茅ヶ崎市は税収入は少ないが、その分公共事業も行わず支出も少ない為、財政は安定しているらしい。その点では別に余所と合併して生き残りを計らなくても良い訳で、そのせいか今回の合併話に最も消極的なのは茅ヶ崎だそうだ。市民としては合併に反対だが、世の趨勢を考えれば仕方のない事なのかもしれない。もし政令指定都市になるのなら、現在の茅ヶ崎市全体を茅ヶ崎区とでもして貰って、茅ヶ崎という名前が消えてしまわないようお願いしたい所だ。

 合併して新しい市になったら、名前は何になるか。皆さんもうお気づきですね。間違いなく“湘南市”であろう。茅ヶ崎や藤沢はともかく、平塚市は以前市名を湘南に変えようとした事があったし、単に湘南のイメージに惹かれてここいらに移転してきた連中は、湘南市誕生に向けて署名運動を起こしかねない。自治体にとっても湘南という名前によるイメージアップの効果は計り知れない。合併に積極的な自治体は結局、財政云々より湘南という名前が欲しいのだろう。茅ヶ崎市が合併に消極的だというのも納得できる(笑)

 今回の合併にはこういった様々な思惑が絡んでいるのだろう。僕としては前述の通り、合併してしまうのなら仕方ないが、茅ヶ崎という地名は残して欲しい、それだけだ。慣れ親しんだ地名がなくなるなんて、淋しいもんね。どこに住んでいようとそれは皆さん同じでしょ?



2月6日(水)

 一体どこまで続くのか、出口の見えない不景気な訳だが、普通の人なら収入が減ったら減ったなりの生活をするものだろうと思う。先日週刊誌に出ていたが、最近若い人たちの支出に占める食費の割合が少なくなっているのだそうだ。

 “エンゲル係数”というのがあるのは皆さんご存知だろう。手元の辞書によると「家計の総支出に対する飲食費の百分率。この計数が高ければ高いほど貧困であり、低ければ裕福であると判断する。」となっている(しかし、百分率なんて言葉久々に聞いたな)。

 で、最近の若い人たちのエンゲル係数は低いのだそうだ。これが低いと裕福であると判断するという事だが、決して裕福という訳ではないらしい。単に食費に金をかけていない、という事なのだそうだ。しかも、これは食費を切り詰めているのではなく、他の事に金がかかるので(例えば携帯電話とかインターネットとか子供の教育費とか)、自然と食費が減るのである。また、彼らは美味しい物を食べたいという欲求がほとんどなく、必要最低限の食生活で元気に暮らせるなら、無理していい物を食べる必要はない、と考えているらしい。

 それはそれでいいのではないの、と僕は思う。今は食べ物が溢れている時代だから、お金をかけなくてもそこそこの食生活は維持出来る。ならば、もっと他のことにお金を使いたい、という訳だ。

 所が、どうも世間の年寄り連中はこれが気に入らないらしい。彼らに言わせると、人間は食が第一であって、それ以外の事に金をかける生活はおかしいという事だ。食費以上に家賃や教育費などに金がかかる現実の方がよほどおかしいと思うけど。決して、食費を切り詰めている訳ではないのだし、収入は少なくてもエンゲル係数は低く押さえられる、という新しいライフ・スタイルが確立されたのだ、と考えれば変でもなんでもない。

 要するに若い者に対して文句を言いたいだけなのだろうけど、その低いエンゲル係数を引き合いに出して、「若い連中が金を使わないから景気が良くならない」なんて事を言うのがいるから頭にくる。収入が減っているのだから、金を使わなくなるのは当たり前ではないか。それに食費は少ないけど、他の事には金を使っているのだ。文句を言われる筋合いはなかろう。若いうちはどんどん稼いでぜいたくをしろ、とでも言いたいのでしょうかね。かつて、自分たちが高度成長の名のもと、一所懸命物を買ったように。

 しかし、今は時代が違うのだ。小さい頃から何でもある環境で育ってきた世代は意外と物欲は薄いのではないか。色々な物を揃えていい生活をするより、自分たちが快適だと思う生活をしたい、と今の人たちは考えていると思う。それを否定することはできまい。景気回復を叫ぶのはいいけど、個人消費に責任を押しつけるのは筋違いではないか。皆、金がないならないなりの生活をしているのだ。却って褒められるはずではないの?

 結局、高度成長やバブルを経験してぜいたくに慣れてしまった世代が、一番景気対策のネックになっているような気がしないでもない。



1月24日(木)

 全国紙の夕刊にも出ていたくらいだから、ご覧になった方も多いだろう。『マライア・キャリー、リストラ!』の記事のことだ。マライアはバージン・レコードと巨額の契約金で契約を交わしたが、そのバージン第一弾のアルバムが(マライアにしては)売れず、結局莫大な解約金を払ってバージンが彼女との契約を解除した、というもの。バージン・レコードは現在EMIの傘下にあるが、EMIはコスト減を理由に今後レコードの売れる見込みのないミュージシャンをどんどん切っているらしい。

 名前の挙がっている中には結構大物も含まれている。デビッド・ボウイ、ロッド・スチュワート、シンニード・オコナー、アニタ・ベイカーなどが、驚くべきことにリストラの対象になっているのだそうだ。マライアの場合は高い金払った割には売れなかった、という事だと思うが、他の人たちは確かに最近名前を聞かない人ばかりだ。それにしても、ボウイがリストラとはねぇ...

 実の所、いつかこういう日が来るのではないか、という漠然とした予感が僕にはあった。何年か前、世界最大手のユニバーサル・グループがゲフィン、モータウン、A&Mといった中小レーベルをまとめて傘下に収めた事があり、その時も実績のないアーティストが大量に契約を解除された、という話を聞いた時にイヤな予感がしたのだ。その時のリストラ対象はあくまで実績の乏しい若手や中堅に限られていたと思うのだが、今回は過去の実績ではなく現在の実績でリストラ対象が絞られている。売れない人はベテランだろうと何だろうと、容赦なく首を切られてしまう訳だ。イヤな予感は当たってしまった。

 レコード会社だって企業である以上、利益を上げなければならない。それは分かるんだけど、反面レコードというものは娯楽品としての役割だけでなく嗜好品としての側面もあり、つまり売れない商品にも需要はあるのだ。売り上げと品質が必ずしも一致しない商品でもあるし、要するに売れないのは品物が悪いせいばかりではない、ということ。ここいらをレコード会社のお偉方は理解しているのだろうか。たとえレコード会社的に見れば売れないアーティストでも、その人の音楽を愛するファンは確実に存在する。売れないから、といって首を切る事はファンの楽しみを奪ってしまうことになるのだ。楽しみを奪われたファンはもうレコードを買わなくなる。そういった人たちが増えてくると、逆にレコード会社側が困る事にはならないだろうか。

 100万単位でCDが売れるアーティストもいるが、購買層を見てみると、もちろん熱心なファンもいるが売れてるもんでつられて買ってしまう人も多いらしい。そういった、いわゆる浮動票を握る人たちが音楽好きになる場合もあるが、多くはそれっきりで終わりである。継続して定期的にCDを買うのはもっとコアな音楽ファンであり、そんな音楽ファンを育てていかないと安定した売り上げは見込めない、と業界の人も心配していた。

 確かに難しい商売だよな、と思う。CDってのは大抵の場合、一人一枚しか買わないからね。だから一方的にレコード会社ばかりを責めるつもりはないが、レコードを売るという事は娯楽を売る、つまり文字通り“夢”を売る商売なのだ、という事は理解して欲しい。そして、その“夢”は正しく十人十色なのだ。

 しかし蛇足ながら、バージン・レコードというのは元々中古レコード屋のオーナーが、大資本に対抗して、大手と契約出来ない才能あるミュージシャンを世に送り出そう、ってんで発足させた会社だったはずだ。いわばインディーズのはしりである。そのレコード会社がいつの間にやら大手になってしまい、売れないヤツは切る、なんて言っている。一体初心はどうしてしまったのだ。結局成功すると、どいつもこいつも資本主義の豚に成り下がってしまう。一番やりきれないのは、こういう現実を見てしまった時である。金持ちは嫌いだ(爆)

 娯楽産業受難の時代というべきか。世も末だな(笑)

 今回は興奮しているのか、かなり支離滅裂になってしまった(爆) どうぞ、ご勘弁下さい。



1月21日(月)

 なんと1月も3分の2が過ぎてしまった。今まで更新してなくてゴメンナサイ(笑)でも、ネタに困っているのも事実です(爆)

 新年早々大したネタでなくて申し訳ないけど、昔から世の中には不思議な事がいっぱいある。理由が分からない事というか、どうせネタがないのなら、そういう昔から不思議に思っている事をここに書いてしまおうかと思う(笑) どなたかその理由を知っている人がいらしたら、是非僕に教えて下さい。時々夜も眠れないことがあるのだ(笑)

 その1 何故、スニーカーの紐は無用に長いのか?
 その2 何故、缶ジュースの自動販売機は頑ななまでに商品が取り出しにくい構造
      になっているのか?

 最初だしこれくらいにしとくけど(笑)、ほんとに不思議でしょうがない。全く意味がないと思いませんか? スニーカーの紐だって適度な長さであれば、結んでも紐が余って踏んづけてしまうなんてことはないし、缶ジュースだって取り出し易くすることは簡単に出来るはずだ。何故、スニーカーの紐は長くて、缶ジュースは取り出しにくくなければならないのか。きっと理由があるのだろう、と僕は思う訳だ。自分には分からないだけで。ほんと、不思議だ。

 という訳です。その理由を知っている方、是非教えて下さい。よろしくお願いします。



2001年
12月27日(木)

 いよいよ2001年も終わりである。僕も明日から冬休みだ。個人的にも色々な事があった一年だった。

 で、毎年恒例である私的年間ベスト・アルバムを発表したいと思う。これをやんなきゃ、一年が終わった気がしないな(爆)

 毎年言ってるけど、新しい物をそれほど聴いている訳ではないので、変わりばえのしない内容かもしれない。今回は思い切って(笑)ジャケ写付で紹介します。例によって、順位はあまり気にしないで下さい。

1.THIS IS WHERE I CAME IN/Bee Gees

ベテラン健在なりをアピールした傑作である。しかも、
過去のパターンをなぞるのではなく、新しい世界を作り
出している事が素晴らしい。古くからのファンは不満
かもしれないが、これが現在進行形のビージーズだ。
もしかしたら『メイン・コース』以来の問題作かも。

2.BRIDGE/Blues Traveler

苦楽を共にしたメンバーの死を乗り越えての4年振りの
新作。暗い雰囲気は全くなく、彼ららしい豪快なサウン
ドが満喫出来る。新たにキーボードが加わり、演奏にも
幅が出てインプロビゼーションの応酬もスリリングだ。
現在では数少ない正統派アメリカン・ロック。聴くべし。

3.ANGEL IN THE DARK/Laura Nyro

ローラの遺作と呼ぶべきか、闘病生活に入る前の199
4年から1995年にかけて録音された音源が今年にな
ってから陽の目をみた。慈悲に満ちたオリジナル曲、奔
放な歌いっぷりのカバー曲、どれも素晴らしい出来だ。
豊潤なバックの音も実に心地良い。

4.SONGS FROM THE WEST COAST/Elton John

久々にエルトンらしさを感じさせた新作。本人もかなり気
合い入れてレコーディングに臨んだらしい。とにかく曲が
いい。11月の来日公演でも証明されたように、過去の
名曲と並べても遜色ない佳曲揃いだ。これだけのアル
バムを作れるのなら、エルトンまだまだ大丈夫。

5.A FUNK ODYSSEY/Jamiroquai

ちょっと意外なセレクトだっただろうか。日本でも大人気
のUKファンクバンドの新作は、お洒落でカッコよくてセ
ンスの良さに溢れている。一本筋が通ったものを感じさ
せるのだ。古き良きソウルの再現を試みつつ、現代の音
になっているあたりは大したものだと思う。

 こんなところです。だいたい予想出来たでしょ?(笑)
 僕のようなオールドファンには、今年もベテランの活動振りが目についた。ELOやボズ・スキャッグスが久々の新作を出したし(聴いてないけど)、ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、オジー・オズボーンらの新作も話題になった。反面、ジョージ・ハリスンが亡くなるという悲しいニュースもあったけど...。でも、やはりベテランの頑張りは嬉しい。来年やってくれるのは誰かな?

 J−POPに目を転じると、今年のアーティスト別CD売り上げのベスト3は浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、モーニング娘。だったらしい。確かにこの人たちの露出振りは凄かった。去年あたりから女性パワーを見せつける人たちが各業界で活躍しているが、J−POPも例外なく女性上位という訳だ。他にいないのか、って気もするけど。僕個人としては、新メンバーを覚えられないモー娘。はそろそろついていけなくなっているのかな、と寂しく思ったりもした(爆)

 あと、暮れも押し詰まってから発表された四人囃子の5枚組CDボックス、これは大事件だった。かつての伝説のバンドがこれを機に世間に認知されることを望みたい。

 長くなってきたので、そろそろ締めくくろうと思うが、実は僕は今年引っ越しをして今神奈川県には住んでいない。当サイトの掲示板で引っ越し先はどこか、なんてクイズを出したりしてたけど、徐々に隠しきれなくなってきたようだ(笑) しかし、MFCオーナーが神奈川県から引っ越してしまったら、MFCではないではないか、なんて声もあったがMFCはMFCで僕がたとえニューヨークへ行っても続けさせて頂く。現住所がどこであれ、僕は神奈川県民なのだから。FIREWALLも今まで通り続けます。これからもご愛顧の程、お願い申し上げます。

 と言う訳で、僕も正月休みに帰省する立場となった(笑)ので、これが今年最後の更新となります。皆様には色々お世話になりました。来年もMFCをよろしくお願い致します。



12月16日(日)

 う〜ん、ショッキングというより情けないニュースである。しかし、ファンとして触れない訳にはいかんな。社員の不祥事を記事にしなかった某大新聞社みたいになってはいけない(笑)

 という訳でご存知の方も多いだろう。あのウィノナ・ライダーがビバリー・ヒルズの高級デパートで万引きの現行犯で逮捕されたのである。麻薬不法所持の容疑もあるらしい。しかし、よりによって万引きとは...。

 僕はYahoo!ニュースで見ただけで、詳しい事は知らないのだが、ウィノナが貧乏である訳ないし、おそらくほんの出来心か一種の病気なのであろう。女優生命が危ぶまれることはないだろうが、それにしても情けない、というのが本音である。もし病気だとすれば、当分彼女をスクリーンで見る事は出来ないだろう。

 その出自からして変わった経歴の持ち主であるのだが、私生活もかなり奔放だったらしい。ジョニー・デップをはじめとして、デビッド・バーナー(ソウル・アサイラムのボーカル)、デビッド・ドゥカプニー(X−Filesのモルダー捜査官)、ジェイ・ケイ(ジャミロクワイのリーダー)といった面子と浮き名を流し、大衆紙のいいネタになっていたようだ。『リアリティ・バイツ』などで演じた役柄を地でいっているような所があった。結構変、というかエキセントリックな役も多く、今回の事件もスクリーンから見たウィノナ・ライダーのイメージからすると、あまり違和感ない所がまた怖い(笑)

 アメリカでの評価に比べて、日本では知名度の低い人だが、今回の事件をきっかけに有名になったりして...なんて思ったりもしたけど、現実には「ウィノナ? 万引き? 誰?」ってのが一般的な反応なのだろうな(笑) それもちょっと悲しいなぁ(ファンとは複雑なものなのです)



12月14日(金)

 随分前のことになってしまったが、皇太子ご夫妻に待望のお子さまが誕生した。名前は「敬宮愛子(としのみやあいこ)さま」、雅子さま出産前日の入院から退院に至るまで連日のように号外が出て、久々の明るいニュースに日本中が沸き返っていたような印象がある。テレビの街頭インタビューなどでも「これを機に少しでも景気が良くなってくれれば」なんて声も多かった。しかし、最近の日本人は何かあると「これで少しでも景気が...」しか言わなくなってきたね。確かに未曾有の不景気だし、好転のきざしもない。どんな事でもいいから景気回復にさえ結びついてくれれば、と言いたくなるのも分からなくはない。けど、愛子さま誕生まで景気回復に期待するのはどうかと思う。景気が良ければ誰もお子さまの誕生なんか待っていなかった、とでも言うのか。ま、気持ちは分からなくもないけどなんかいじましいよなぁ、ここはひとつ、景気云々は抜きにして素直にご誕生を喜べば良いのでは、と思います。何かあると「これで景気も...」なんて大阪商人みたいな事を考えるのは止しましょう。いつどんな時でも赤ん坊の誕生は明るいニュースである。まして皇族なら尚更だ。

 皇太子ご夫妻にとって初めての子供が女の子だったことで、女子にも皇位継承権を与えるよう憲法を改正すべきでは、という意見があちこちから出ている。僕も基本的にこの意見に賛成だ。ただ“皇位継承権は天皇の第一子に”とすべきだと思っている。男でないと天皇になれない、という決まりごとは破棄した方がよい。これにより、真の男女平等が成立し、女性の解放につながる、という意見も聞いたけど、僕は女性のみならず男性をも解放する事につながると思っている。現代の男社会では女性は男に隷属し自立することもままならない、というのが一般論だが、これは言い換えれば“男は常に女性に対する責任を背負わされている”ということだ。“女性”という言葉を“家族”に置き換えてもいい。結局、大抵の男は生まれた時から家族や社会に対する責任を負わされプレッシャーでがんじがらめになっているのだ。そういった庇護の下で楽をしてきた女性だっているだろう。“真の男女平等”もしくは“女性の自立”とは、こういったプレッシャーから男を解き放つことでもあるのだ。“真の男女平等”とは男女関係なく平等に責任を負うことだ。是非実現して欲しいものである。
 なんて屁理屈言ってるけど、女帝ってなんだかカッコいいと思いません?(笑)

 以前にも書いたけど、動物行動学研究家の竹内久美子という人がいる。週間文春に連載されているこの人のコラムに、とても興味深いことが書いてあった。
 子供が生まれた直後に必ずといっていいほど交わされる会話に、「お父さんにそっくり」というのがある。ある調査によると、出産直後の病室では「お父さん似」発言が圧倒的に多く、それも母親が父親に向かって言うのが9割以上を占めるそうだ。もしかして、「お父さんにそっくり」と夫に言う事によって、「あなたの子」だという事を夫に認識させようとでもしているのでしょうか? 何故、そんなことをわざわざ言う必要があるのでしょうね....?




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