日々の覚書



2003年
9月15日(月)

 今日ついに阪神タイガースが優勝し、星野監督が宙に舞った。中日ファンであり同時に星野仙一ファンでもある僕としては、実に感動的な光景であった。加えて、星野監督のインタビューもいい。この人、別に難しい事は言わないのだが、そのコメントはいつも非常に印象的だ。うわべを飾り立てたりせず本音を自分の言葉で表現するから、思いが伝わりやすく、説得力があるのだろう。ああいう人が上司だと、部下はつい実力以上に働いてしまうに違いない。それだけ人を動かすひとことが言える人だ。浪人していた頃、立候補しないかと政党から誘いがあったというのもうなずける。

 ま、とにかく星野監督、そしてタイガースのコーチ、選手の皆さん、優勝おめでとうございます。18年振りかぁ。その頃生まれた子供が、もう免許を取る年齢になってる、って訳か。やっぱり長いよな。それにしても2年前、中日を辞めたばかりの星野仙一が阪神の監督就任を要請されている、と聞いた時それまでのキャリアに泥を塗る事になりはしないか、と凄く心配だったけど、泥を塗るどころかさらに輝かしい1ページを追加してまうとはさすが男・星野。ただの熱血漢ではなかった。“燃える男”はその炎の裏で、冷静に周りを見ていたのだ。優勝監督なんて情熱だけでなれるもんじゃない。

 セ・リーグ優勝が決まれば、次は日本シリーズだ。失礼ながら、星野は中日の監督時代、2回出場した日本シリーズで2回とも惨敗している。唯一の心配はそれだけど、相手がどこだろうと、特別に警戒する必要はない。シーズン中と同じようにやればいいと思う。今度は大丈夫だ、なんたって甲子園の大観衆が味方についてる。これは大きいぞ。

 僕は、必ずしも低迷する関西経済が、阪神優勝で巻き返すとは思わない。けど、日本全体が都会化(東京化と言ってもいい)して、日本人の地元意識が希薄になり国民がアイデンティティを見失いつつある今、阪神の優勝によって関西人が再び関西人としてのアイデンティティを取り戻す事を期待したい。関西復興の鍵はそこにあると思う。つまり、“東京がなんぼのもんじゃい!”という気概だね。地方経済の活性化なくして、日本経済の上昇はあり得ない。その代表として、関西人よ、元気を出せ!!

 とまぁ、今回はイエスのコンサートレポートをお届けするはずだったのだが、阪神が優勝してしまったもんで、ついそっちに流されてしまった(笑) なんたって18年振りだもんな。コンサートレポートは後日、という事でご勘弁下さい。公約破りですいません(爆)

 しつこいようですが、阪神タイガース優勝バンザイ!!



9月4日(木)

 9月になったが、この暑さはとどまることを知らないかのようだ。まだ残暑って感じじゃないしな。でも、日は確実に短くなってきてる。毎年、日が短くなりツクツクホウシが鳴き出すと、あぁ夏も終わりだな、と思って寂しくなってしまう。

 全然関係ないけど、近頃若い人と話してると疲れません? 話が合わないとか口のきき方を知らないとか、そういうことではなく、言葉が聞き取れない人が多いのだ。そんな感じしませんか? 特に女の子に多い。滑舌が悪いというのか、ほにゃほにゃと喋って、そのくせ妙に早口で、しかも声が大きい。電話などで話してると訳分からない。つい2〜3日前にも、会社からタクシーを呼ぼうと電話をかけたら若い女の子が出た。面倒な事になりそうだと思いつつ、「一台お願いします」と言ったら、「ひぇ〜」とびっくりされてしまって、ナンダナンダと焦ったら何のことはない、彼女は「守衛所にお付けしてよろしいですか?」と言ったのだ。急にデカい声でほにゃほにゃと言うから冒頭の「守衛所」が「ひぇ〜」と聞こえて、こっちがパニくってしまったという訳である。

 またかなり前だけど、若い女の子と電話で待ち合わせの場所を相談してた時、彼女は「モアーズ(注)の前」と言うのだが、僕には「ふぁ〜ず」としか聞こえず、「何?どこ?もう一回言って」と繰り返すばかりだった、という事もあった。

 皆さんにはこういう経験ありませんか?

 テレビのトーク番組を見ていた時、若い女性タレントが「さしすせそ、がうまく言えない」と言ったら、あるベテラン俳優が「それはアゴが弱くて口の開け閉めがきちんと出来てないからだ、固い物食べてアゴを鍛えなさい」とアドバイスしていた。なるほど、と思ったね。別の番組で見たのだが、最近口を閉じられない若い人が多いそうだ。いつも口を半開きにしている。意識しないと口を閉じる事が出来ないのだそうだ。これは、アゴが未発達故に起きる現象らしい。小さい頃からハンバーガーなど柔らかい物ばかり食べているせいだとのこと。

 滑舌が悪くてほにゃほにゃと喋るのは仕方ないけど、せめてゆっくり喋って欲しい。でないと、オジサンは聞き取れない(爆)

 あ、ついでに予告しておくと、次の「覚書」の更新は、イエスのコンサートレポートになるであろう。お楽しみに。約10日後かな(笑)

 (注:モアーズ・・・JR横浜駅西口にある、ブティックやらレストランやらが集まっているビル。正式には“岡田屋モアーズ”というらしい。今もまだあるはず)



8月21日(木)

 今や誰でも携帯電話を持っているのである。持っていない人の方が変人扱いされる時代だ。しかもただ話すだけではない。メール・インターネット何だって出来る。飛行機や新幹線の切符も携帯で予約できる。写真だって撮れる。機種によっては動画もOK。現代人に携帯は必要不可欠。なんたって万能ツールなのだ。ちなみに僕は携帯のアラーム機能を最大限に生かし、目覚まし代わりにしている。

 所で、その便利な携帯なんだけど、困った事があって、僕のはメールが文字化けするのだ。今の機種を使い始めてから約2年、メールをするようになって2〜3ヶ月してから、文字化け現象が出始めた。受信メールのソートが狂っているのに気づいたのが最初だ。普通なら受信日時の順にメールが並ぶはずなのに、何日も前に受信したメールが一番上に来ていたりする。おかしいな、と思ってよく見たら、日付が文字化けしていた。2003年8月11日13時55分に受信したメールの日時が“03/8/51 13:=5”なんて表示されてたりするのだ。“83/8/5 19:45”なんてなってる事もある。2083年なんて、とんでもない未来からメールを受け取ってしまった事になってる訳だ。

 そうこうしてる間に、発信者のアドレスも本文も文字化けを始めた。そうなると無茶苦茶だ。受信したばかりのメールが見当たらない、なんて日常茶飯事。受信して一度読んでから数分してもう一回見たらもう化けていた、なんて事も多くなった。で、去年の6月にショップへ行き、本体を交換して貰った(ちなみに契約してから一年以内だったので無償だった)。が、しばらくは良かったけど、半年くらいしたらまたもや文字化け。近頃ではすっかり諦めてしまった。どうせ、携帯メールなんて何度も読み返すものじゃないし。開き直りだな。

 しかし、周りに聞いてみると、携帯メールが文字化けするなんて人は全くいない。僕と同機種を使っている人ですら、そんな現象は出ないと言ってる。一体どうなっているのだ? 何故、僕の携帯だけが文字化けするのだ? 何かの祟りか、それとも僕は選ばれた人間なのか? 謎は深まるばかり。

 という訳で、僕と同じように携帯メールが文字化けする、という方、是非連絡下さい。自分一人じゃないんだ、と安心したいのです(笑)



7月8日(火)

 当サイトに「最近のお気に入り」というコーナーがあり、その名の通り最近気に入ってるCDや本を紹介しているだけなんだけど、近頃正直なところスランプ気味だ。いや、そんな大げさなもんじゃないか、色々と書くことが苦痛になってきた、というのも言い過ぎだな、とにかく、書くのに苦労しているのは確かだ。なんというか、自分の書いた物が面白くないような気がしている訳なんだな。ネタは豊富にあるんだけど、うまく書けないというか。

 自慢じゃないが、昔から文章を書くのは好きだったし、別に下手ではないと思っている。仕事で報告書とか書くのならいざ知らず、自分のサイトで好き放題書いているのだから、苦痛も何もないだろう、と思っているが、書いた物に自信が持てなくなった、という感じなのだ。書くこと自体がイヤになったのではない。

 こう感じるようになったのは理由があって、最近非常に上手な文章を書く人のサイトを見つけてしまったから、というのがひとつ。その人の書く物はほんと面白いのだ。日記にCDレビューにカキコまでもが無茶苦茶面白い。きちんとした言葉と文体を駆使しつつ、適当にギャグを散りばめ、真面目と不真面目が交錯しながらも実に論理的に自分の意見を表現する、という大変素晴らしい文章の書き手なのである。特にCDレビューなぞ絶品。理論もしっかりしてるし、データもきちんと押さえながら、好き嫌いもはっきりさせる、非常に説得力のあるレビューなのだ。読んでると聴いてみたくなるという、そこいらのライターでもマネ出来ない素晴らしさなのだよ、ワトソン君。あんなレビューを読んでしまうと、自分の書いてる物が情けなくて仕方がない。恥ずかしい。穴があったら入れたい、違った入りたいくらい。マネしようったってマネできないし、逆立ちしてもその人の足元にも及ばないだろう(ふと思ったが、逆立ちすれば追いつける場合もあるのか?)と思うと、悲しくなってしまうのだ。

 もうひとつの理由なんだけど、実はこちらの方が大きいかも。「お気に入り」というくらいだから、気に入った物を取り上げるんだけど、ここにそもそも無理があるような気もするのだ。皆さんは経験ありませんか? 何故好きか、どうしていいと思うか、という事を説明するのって実は凄く難しい。僕はどちらかというと、嫌いな物に関しては理由を簡単に説明出来るのだけど、好きな物については簡単にはいかない。嫌いになるには明確な理由があるけど、好きになるのには理由なんてないからだ。何故か分からない、だけど好きだ〜、というのが思春期の叫びであり、青春のパラドックスなのだ。嫌いな物には理性が働くが、好きな物には感性が訴えかける。それを文章で表現しよう、という立脚点からして間違っているのだね。だから感性の訴えかけるまま、「好きです」「いいです」ですましておけばいいのだが、小学生じゃあるまいし、その程度では僕のプライドが許さない。プライドが許してもお天道様が許さない。かくして、「お気に入り」を読んだ人が、聴いてみたい読んでみたい、と思ってしまうような文章を書こう、と虚しい試みを続けている訳だ。もう3年以上も。

 そんな訳で、やや停滞期かもしれないと思う(今に始まった事ではないだろうが)。でも、深く考えずに適当にやっていればいつか晴れ間も見えるかもしれない、という甘い観測でこのまま続けていくだろう。それでいいのかもしれない。それに、上手く表現出来なくても紹介したい物はたくさん出てくるだろうし。ただ、ガス抜きの為、嫌いな物を紹介するコーナーも作った方がいいかもしれないな(笑)



6月24日(火)

 近頃このコラム(なんていーもんじゃねーが)は、不平不満をダラダラとぶちまけるだけの場になってきたようだ(爆) 今回も似たような内容である。

 ここ数年、再発CDが“紙ジャケット仕様”(以下紙ジャケ)で店頭に並ぶ事が当たり前のようになっている。が、困ったことに、僕はこの紙ジャケというヤツが大嫌いなのだ。LP時代の名盤が高音質で、ボーナストラックも追加されて、しかも廉価で買えるなんて、こんなに喜ばしい事はないのだけれど、何故か紙ジャケで発売される。音楽誌等で再発のニュースを見て、発売日を指折り数えて待って、いそいそと店へ行ってみたら紙ジャケで、がっかりどころか絶望的な気分になった事が何度あったことか。去年の暮れに全カタログが再発された四人囃子も、今月リマスター&ボーナストラックで再発されたジェスロ・タルの70年代のアルバムも、全て紙ジャケだ。何の為に、僕はこの日を指折り数えて待っていたのか。レコード屋の店頭で悔し涙にくれてしまった。どうしてこんなに紙ジャケが幅をきかせているのだ? 近頃じゃLP時代の再発のみならず、CD時代のアルバムまで紙ジャケで再発されるという、まともな人間には理解し難い現象まで起きている。再び問う。何の為の紙ジャケなのか?

 僕が紙ジャケを嫌いな理由は、早い話が収納しづらいからだ。プラケースと同じCDが入っているのに、何故紙ジャケはあんな変則的な形をしているのか? 店頭で見ても、棚には並べにくそうだ。店員からしても扱いにくいのではないのか?

 おそらく僕のような人間はごくわずかで、評判が良いから各社とも争って紙ジャケで出すのだろうと思う。だけと、一体どういう人たちが紙ジャケを歓迎するのか、全く見当もつかない。LPのデザインが再現されているのがいい、といってもLPのジャケットデザインはあくまでも30p×30pの大きさを想定しているはずで、その大きさで見るから感動するのであって、4分の1以下に縮小されてしまったら魅力は半減ではないか。文字だって必然的に小さくなるから見にくくなるし(若い人でも、あの文字は見にくいはず)。

 そういう風に考えると、LPで育った世代が紙ジャケを歓迎するとは思えない。それだったらLPを復刻するか、ケースをLPサイズにしてしまった方が、よっぽど喜ばれると思う。ずっと後のCD世代からすれば、紙ジャケだろうと何だろうと関係ないはず。だいたい、LPとCDは似て非なるメディアなのであるから、紙ジャケのCD自体その存在が矛盾しているのだ。となると、一体誰が喜んでいるのか。結局、一部のマニアだけではないのか? LPのミニチュアなんて面白いなぁ、これは後々高く売れるぞ、なんて言ってる連中(現実に、中古レコード屋では紙ジャケの買い取り額の方が高い)。純粋に音楽が好きな人たちとは到底思えない。

 LPの雰囲気を再現したいなら、他に方法はある。最近、イエスの『こわれもの』のデラックス・エディションというのを買ったが、それはデジパック仕様でCDケース自体が冊子みたいになっていて、とてもいい感じだった。サイズは通常のCDと同じ。わざわざ紙ジャケなんてしなくても、LPのアートワークは十分に再現出来るのだ。

 聞く所によると、この紙ジャケとやら、海外にはないらしい。日本独自のものだそうだ。日本における洋楽の地位が徐々にマニアックになってきている現状を考えると、やっぱり紙ジャケはマニア向けのもので、決して一般の音楽ファンを狙った物ではないと思えてしまう。こんなことをしているから、益々洋楽離れが進んでしまうのだ。

 周囲の人に聞いてみると、CDは聴ければいいので、紙ジャケであろうとなかろうと気にしない、という人の方が多かった。ならば余計に紙ジャケなんか必要ないではないか。レコード会社及び評論家連中は、いい加減に考え直して欲しい。どうしても一部のマニアの為に紙ジャケを作りたければ、初回限定で紙ジャケにするとか、予約を受け付けて受注生産にするとか、いくらでも方法はあるだろう。とにかく、あの胡散臭い紙ジャケを何とかして貰いたい、と切に願うものである。

 全国の“紙ジャケ否定派”の皆さん、連絡下さい。共に戦いましょう(笑)



6月14日(土)

 今日は休日なので、ちょっと出かけようと思っていたら雨が降ってきて、急ぐ用事でもなしという訳で、家で過ごしていた。よくよく考えてみると、土曜日に外出しないなんて久々だ。家にいてもする事はあるし、退屈はしないのだが、でも変な感じもする。どうも週休2日制が身について長いせいか、土曜は外出・日曜は家でゆっくり、というパターンが固まってしまったようだ(笑) ま、こういう時こそせっせと更新もしないといけない訳で、色々とネタを拾ってきては、こうしてウダウダと書いているのである。ホームページを始めた以上、誰も見てなくても定期的に更新する義務がある、と僕は思っているが、それがかったるくなって止めてしまう人も多いんだよな。個人のホームページだから続けるも止めるも本人次第なんだけど、閉鎖しないで残しておくのなら、せめて更新はするべきだろう。って、いきなり支離滅裂な事を書いてるな(笑)

 で、今日、新聞の広告で妙なものを見つけた。ダイエット・リングなるものの折り込み広告である。表の水着の女性の写真に惹かれて読んでみると、これが仲々すごい。リングをしているだけで痩せられるという嘘みたいなダイエット方法らしいのだが、“めっきり体重減少”“モデル体型に変身”“小顔になれた”“足が細くなった”等々劇的効果にア然!だそうだ(笑) 一ヶ月で9s痩せた、なんて体験談や、痩せる前と後の本人の写真(17sも減りましたってヤツね)、なんてのを見てるとほんとかよ、なんて思いたくなる。だいたい痩せても、顔が大きい人は大きいままだと思うけどね(笑) また、こんなにスマートになりました、なんて写真が載ってるが、これモデルさんじゃないの?なんて言いたくなるほど、皆さんスタイルがいい。モデルを連れてきて、凄く太った人の写真と首だけすげ替えて使用前です、なんて言ってるんじゃないかと疑ってしまう(広告審査機構からクレームはつかないのだろうか、誇大広告だぞって)。却って信用出来ない、なんて感じてしまうけど、それでもすがりたいのが女心なのか。

 こういう広告に載っている体験談というのを読むと必ず出てくるのが、カレに振られてショック!ってヤツ。「デブは嫌いなんだよ」とカレに振られて、ヤケ食いしてたら益々太ってしまい、このダイエットリングを試してみたらみるみるうちに痩せて美しくなり、それを見た元カレがまたデートに誘ってくるようになった、なんて体験談が今日の広告にも載ってる。男ってやっぱり痩せてる女の子が好きなんですね、なんてコメントで締めくくられているが、これもちょっと不思議なものがある。僕の周囲だけなのかもしれないが、普通の男はガールフレンドに飽きたり嫌いになったりして別れたいと思っても、「デブは嫌いだ」なんてストレートには言わないよ。多少引け目を感じるからか、本当の事を言うと気の毒だと思うからか、とにかくどうやって別れようか、と色々悩むのが男ってものだ。ま、恨まれたくない、っていうのもあるんだけど(笑) だから、前述の体験談を読むと不思議になるのだ。

 日本人の男の場合、大半が女性に対してブスとかデブとか言っちゃいけない、と思っているのではないだろうか。傷つくだろうし、なんて。優しさなのか気弱なのか、よく分からないけど。女性にストレートに「デブだから嫌いだ」と言えるのは、よっぽど自分に自信があってモテるから女に不自由しない、ごく一部のイケメンだけだろう。前述の体験記の女性(佐々木涼子さん・19歳・学生、と書いてある)の元カレもそういうタイプだったのか。それにしても、デブだからと振った彼女が痩せたんで再び近づいてくる、なんてちょっとカッコ悪いなぁ(笑) 体験記には書いてないけど、もちろん佐々木涼子さん、今度は振ってやったんでしょうね(爆)

 人間は外見で判断すべきではない、というのは正しいが、実際には外見で判断してしまう部分が多いのは確かである。だから、詐欺師は必ずスーツにネクタイを着用し、選挙の立候補者はひたすら笑顔を振りまくのだ。太ってる女の子より細い方がいい、というのは大部分の男たちの本音であり、女たちは痩せようと必死になる(女性が痩せたがる理由はこれだけではないと思うよ、一年前に買ったスカートがはけなくなった時とか、同窓会やら結婚式やらがある時にも痩せようと思うだろう)。これは女だけではなく、男も同じで、今は男だって化粧品を使いエステに通って外見に磨きをかけようとする時代だ。男性用カツラだって、美容整形と同じようなものだと思うし。ただ、いくら外見を美しく見せても、やはり内面は顔に出てしまうものだと思うよ。美人でもバカ面、っているからね(笑)

 ま、外見に惑わされてしまうのは仕方ないけど、外見だけには騙されないぞ、と常に自分に言い聞かせておくのも大事だな。でも、外見でも騙せない人たち(例えば僕のような)は、どうすればいいのだろう? それこそ内面を磨け、ってか。10s痩せるのと、どっちが難しいだろうか(笑)



6月8日(日)

 LP時代からCD時代に代わって早や10数年。LP時代の名盤をそのままCD化する、というのはとうに過去の話となり、近頃ではCDならではの音質や収録時間を生かした再発が主流である。すなわち“24ビット・デジタル・リマスタリング”とか“未発表を含む7曲のボーナス・トラック”とかいうヤツである。また、ブートで出回っていた古いライブ音源をリマスタリングして正規盤としてリリースされるケースも多くなってきた。既発のライブ盤にLPでは収録出来なかった音源を加えて完全版と銘打った物もある。こういった形での再発は、音楽史的に見ても貴重な音源が公開される事も多いし、LP時代には生まれていなかったような人たちも高音質&おまけ付きで過去の名盤が楽しめるし、古くからのファンにとってもマニア心をくすぐる未発表テイクなんぞが聴けるし、ついで言うと廉価だったりするし、とにかく音楽ファンにとっては悪い話ではないのである(当たり前だ)。

 最近ではレッド・ツェッペリンの全盛期ともいえる70年代前半の未発表ライブがCD3枚組及びDVD2枚組で発売され、ファンのみならず全ロックファンの話題を集めているし、去年ザ・フーの1stが初めて完全な形で再発され、歴史的快挙と騒がれたと思ったら、今年になってそのザ・フーの1971年の『フーズ・ネクスト』のデラックス・エディションが出て、一部で盛り上がっている。キング・クリムゾンはロバート・フリップが自らレーベルを設立して過去のライブ音源をシリーズで発売しているし(会員限定というのがミソ)、ザ・バンドやバーズあたりになると2〜3年毎にオリジナル・アルバムをリマスタリングし新たな未発表音源を追加してリリースし、その未発表音源の為にファンは毎回買わなくてはならないという、一種あこぎな商売をしたりしている。中にはストーン・ローゼスみたいに歴史の浅いバンドまでアニバーサリー・エディションなんぞ出したりして、ここまでくると歴史的価値よりも商売第一ってな気がしなくもないが、そうなると、僕としては期待せずにはいられない。そう、クイーンである。

 何故かクイーンの場合、こういう再発が少ないのだ。本国イギリスではビートルズに次ぐ国民的バンドとして人気を集め、バンド解散後(少なくとも僕は解散したと思っている)も着実に新しいファンを増やし続けているクイーンなのに、ボックスセットとかアニバーサリー・エディションの類が皆無なのだ。確かに、過去のアルバムは全てデジタル・リマスターされて容易に手に入るけど、前述のツェッペリン、ザ・フー、ザ・バンドなどのような形での発掘物のリリースがない。これはどういう訳だ。オリジナル・アルバムだけで十分商売になるので、新たな企画など必要ないというのか。よく出したくても出せない理由として、マスターテープがなくなってしまったとか、マネージメントの問題で揉めているとか(ザ・フーの1stが最近までリリースされなかったのは、そのせいらしい)、そういう話を聞くけど、クイーンの場合もそうなのか。ザ・バンドの場合は業界にファンが多く、そいつらが次々と企画を立ててはリリースに持ち込んでいると聞くが、クイーンだってその筋にファンはいるだろう。本当に不思議である。レコード会社の陰謀か。

 ファンの一人としては、こういうのが出て欲しいな、なんていつも夢想している訳だ(笑) 例えば、

 1.過去のオリジナル・アルバム13枚のアニバーサリー・エディション。1stからラスト
   の『イニュエンドウ』まで、全て2枚組にする。いずれも、Disc1は本編のデジタル・
   リマスター、Disc2にはアルバム未収録曲、アウトテイク、未発表曲、デモテイク、
   (発売当時の)ライブテイク等を収録。値段は3300円。どうだ?
 2.70年代のライブ音源の発掘。ボックスセットにしてもいいけど、コンサート毎に
   単独で出してもいい。BBCにも音源があるはずだし、かなりの数のアイテムが
   期待出来るのでは。1975年のレインボー・シアターとか1976年のハイド・パーク
   とか、語り草になっているコンサートもあるし、そういうのは是非単独で出して
   欲しいな。あと、ライブ・イン・ジャパンもいいのでは。初来日の時のとか貴重だろう。

 いいなぁ、これが実現したら死んでもいい、なんて思ってしまうかも(爆) 2年程前にクイーンのボックスセットを制作中という話を聞いた事があったけど、いつの間にか立ち消えになってしまった。だいたい、これだけのビッグネームなのにボックスすら出ていないのがおかしいのだ。何とか実現する事を熱望するものである。

 お願いしますよ、EMI様(爆)



5月21日(水)

 去る5月18日の日曜日、僕自身としては13年振りくらいに南佳孝のライブを見てきました。今回はそのライブ・レポートです。

 場所は3週間程前にアラン・ホールズワースを見たのと同じ京都のRAG。Jun Greenさんに優先チケットを取って貰ったのも、これまた前回と同じ(笑) Junさん、度々ありがとうございます。加えて、一緒に行ったのも忍者さんで、とことん前回と同じなのだった(笑)

 今回は一番前のテーブルに陣取る事は出来なかったが、それでも正面のテーブル席をGET。最高のポジション。開演まで一時間以上もあり、RAGの規定に従い1ドリンクと1フードを注文したが、フードはともかくドリンクが出てくるのが遅い。カクテルならともかくビールなんて缶のまま出てくるのだから、もっと早く出せば開演まで待ちきれない客がたくさん飲んでくれて、売り上げも上がると思うのだけど(笑) とまあ、忍者さんとそんな会話をしながら店内を眺めるとやはり女性客が多い(それも、いくぶん年齢高めでアダルトな感じの)。ホールズワースの時とは違う(笑) トイレも女性で列が出来ていた。カップルが多かったが、一人で来ている女性もいた。男二人は僕らだけだったかも(爆) 僕らと同じテーブルに人妻とおぼしき美人が二人もいて、気になって仕方なかったけど、それもライブが始まるまでの辛抱(爆)

 時間になると、南佳孝がまず一人で登場。ギターを抱え一曲目は「So Danco Samba」。う〜ん、やっぱりいい声だ。彼がつまびくギターの音が軽やかで、とても涼しげな雰囲気を醸し出す。続けて「黒いオルフェ」「上を向いて歩こう」など4曲ほど歌ってから、相方の青柳誠がステージに登場。まず、彼がサックスを吹いて一曲、ここまでは全てカバー曲だったけど、ようやく南佳孝のオリジナル曲がお目見え。まず披露されたのは「
君の笑顔」、やはりオリジナルを聴いてる方がいいなぁ。そしてやっぱり出た(笑)「日付変更線」これは欠かせませんよね。そして、「Scotch And Rain」「Girl」「プールサイド」と続くお馴染みの曲と彼の声に酔いしれる。一緒に歌いたい気分だけど、彼はそういうの嫌がるだろうな(笑) そうこうしてるうちに“ちょっと20〜30分ほど休憩させて下さい”との本人のコメントと共に前半(一部と言うべきか)は終わった。短いな(爆)

 ライブではあまりうだうだと喋らない南佳孝であるが、でもそのシニカルなトークも楽しみのひとつ。今回も、“昨日のイベントで今ボサノバがマイブームなんです、って言われたけど僕の中ではもう終わってるんだよね”、“京都に着いて下賀茂と上賀茂へ行ったんだけど、人が多くてなんだかなぁ、って感じ”、“この曲の主人公は女性なんだけど、あれは私よなんて言う人が結構いて、大きな勘違いなんだけど(と言ってからプールサイドへ)”等々、思わずニンマリしてしまうトークで楽しませて貰った。加えて、マイナーからメジャーに変わる曲調の「日付変更線」を自画自賛したり、石野真子を“西野”とずっと思い込んでた話をしたり、その石野真子が“とんぼとかを歌ってる歌手”と付き合ってたと聞いてがっかりした話(それどころか結婚してたんだけど)を披露したり、ほんと佳孝トーク炸裂(爆)って感じ。これが聴けると、あぁ生の南佳孝だという気になるってもの(笑)

 休憩が終わって後半がスタートすると、なんと!サックスを吹いている。初めて見た。決して上手とは言えない(失礼!)サックスプレイを2曲披露。前半がボサノバなら後半はジャズの雰囲気濃厚。「Dream A Little Dream Of Me」なんかもやったし。そしてギターを手に「
昼下がりのテーブル」「Midnight Love Call」「柔らかな午後」と次々と名曲を歌っていく。「柔らかな午後」は普段あまりやらないみたいで、出だしで失敗してしまったけど、客席の“是非やって下さい”との声に後押しされ、二回目は無事完奏(笑) その後「月に向って(これはやや意外)」「コンポジション1」に続いて「スタンダード・ナンバー」、まさかこの曲が聴けるとは!そして“みんな歌いたいみたいだね”と言って、カバー曲だったけど次の曲で途中のコーラス(歌詞なし)を観客に歌わせていた。これもよくあるパターンか(笑) そしてさらに驚いた事に「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」の2大ヒットを続けて歌ったのである!!これは正にファンサービス、絶対やらないだろうと勝手に決めてただけにびっくりしてしまった。ま、どちらもアコースティック・ライブ向きの曲とは思えないんだけど(爆)

 その「
スローなブギにしてくれ(この曲いつ聴いても名曲だ)」を最後にライブは終了。当然アンコールがある訳で、やっぱりという感じで「ブルーズでも歌って」、南佳孝のライブではこれ聴かないと(笑)本人がピアノを弾いて実に素晴らしかった。そしてピアノだけをバックに「Everytime We Say Goodbye」でシブく決めておしまい。いやぁ〜、素晴らしい、最高の一夜でした。

 大人の鑑賞に耐えうる大人のミュージシャン、それが南佳孝である、という事をイヤでも再認識させられるライブだった。音楽も声もトークも、全てが洒落た大人の空間を作り出している。悪いが、若い奴らには聴かせたくないな、なんて思ってしまうくらい(笑) そんな彼の全てを知り尽くした(受け入れられる)ファンと過ごす時間は、彼にとっても何物にも代えがたい物であろう。あまり愛想を振りまいたりはしない人だけど、歌っている時や喋っている時の表情がなんとも幸せそうで、こちらも嬉しかった。また見たい。

 で、実はおまけがありまして、ライブ終了後しばらく店内に残っていたら、南佳孝本人が出てきて客と写真を撮ったりし始めたのだ。そしたら忍者さんが横で一言“デジカメ持ってきてますよ”すかさず本人の元に駆け寄り写真をお願いしたら快くOKしてくれて、忍者さんに記念すべき南佳孝とのツーショット写真を撮って貰った。本邦初公開(爆)それが↓である。

忍者さん、ありがとう

 ついでに握手もして頂きました(笑) 結局“また見に来ますから”としか言えなかったけど、彼はとても気さくに“ありがとうございます”なんて言ってくれて、いい人なんだなぁ、大人だなぁ、なんて感心するやら感動するやらで(笑)、ニコニコと家路についたのであった(爆)もう大満足、さっきも書いたけど最高の一夜でした。

 ライブ中に彼自身が、現在ニュー・アルバムの準備中で(この日も一曲披露してた)、今回は全て自分で詞を書くつもりだ、なんて嬉しい事を言ってた。楽しみだ。『Purple In Pink』以来4年も出ていないオリジナル・アルバムを一日も早く聴きたいものだ。

 南佳孝を見るのは初めてという忍者さんに感想を聞いてみたところ、“声がいい人のライブっていいですね”とのことだった。また、カバーよりオリジナルの方が良かった、とのこと。こう言って貰えるとファンとして嬉しい。本人に成り代わって御礼申し上げます(笑)

 最後に、曲目・曲順等はもしかしたら違ってるかもしれません。なにせ飲んでましたから(と言い訳をするのであった)。
 
 南佳孝、最高っ!!(爆)



5月17日(土)

 唐突だが、僕は日頃からコンビニのお世話になっている。が、通う事が多いだけに色々と不満というか、苦言を呈したい事も多い。で、今回は日頃お世話になっているが故に、改善して欲しいと思う事を書き連ねてみようと思う。決して否定的な意図ではなく、もっと快適になって欲しいという前向きな意見な提言だと捉えて頂きたい(笑) 題して、“コンビニに物申す”

 1.大抵のコンビニでは買い物をすると袋に入れてくれる。が、その袋が時として厄介だ。
   まず、弁当が入りにくい。コンビニの主力商品とは、何といっても弁当であろう。
   売り上げの7割は弁当だと聞いた事がある。なのに、弁当を入れるには不向き
   なのである、あの袋は。ほとんどの弁当は平たいのに、袋は縦に長く底が狭い
   構造になっていて、平らな弁当が入れづらく斜めになってしまうのだ。弁当を買ってきて
   袋から取り出してみると、中身が片側に寄っているという経験をした人は多いだろう。
   もっと底の広い袋も用意すればいいのに。苦情がきた事はないのだろうか?

 2.その袋に絡む話なのだが、弁当と他の物を一緒に買った場合、弁当(暖めて貰った
   もの)を別の袋に入れる事が多い。これが実は鬱陶しいのだ。荷物は増えるし袋は
   たまるしで、僕としては全て同じ袋に入れて欲しいと思っている。で、レジで「一緒
   にして下さい」とか「袋はひとつでいいです」とか言う訳だ。大抵の店員は言う通り
   にしてくれるが時々強情なのがいて、「(せっかく暖めた)お弁当が(他のものと
   一緒にすると)冷めてしまいます」などと言っては袋を別にしようとする。気持ちは
   分かるが買ったこちらがいいと言ってるのだから、こだわる事はないではないか。
   一度喧嘩になりかけた事すらあるくらいだ。弁当は別の袋にしないと、怒る客が
   いるのだろうか。

 3.それと、弁当等の包装はなんとかならないか。はがしにくいったらありゃしない。
   ラップでぐるりと巻いて、端にべったりとシールが貼り付けてあるので、とにかく
   はがしづらい。鮮度を保つ為とか何とか言うのだろうが、簡単に開けて食べられる
   方がよっぽど大事だ。

 4.これは店によって違うと思うが、気がきかない店員が多すぎる。商品がパレットで
   運び込まれると、棚の前を占領してパレットを3つも4つも並べて商品の入れ替えを
   一所懸命やってる奴がいる。客であるこちらは欲しい物があっても棚に近づく事
   すら出来ない。すぐ終わらせてくれればいいけど、また長々とやってる奴が多い
   のだ。客が来ない時間などないのだから、客がいようといまいと関係なしに片づけ
   なければならない仕事なのは理解出来るけど、もうちょっと何とかならんのか。
   あと、客が多くてレジに行列が出来ているのに、知らん顔で店内の掃除などをして
   いる輩も多い。近頃の若い連中は真面目なんだけど、機転がきかないというのか、
   命令された事は一所懸命やるけど、それ以外の事には気が回らない、というのが
   特徴だな。棚の前を長時間占領しようがレジがいっぱいだろうが、自分はこれを
   やれ、と言われましたから、という訳だ。困ったもんだ。一所懸命やってるだけに
   始末が悪い。

 苦言を呈す、というより不平不満を並べてみただけ、という感じだな(笑) 日頃お世話になっている以上、あまり文句も言えないのだが、利用するなら快適に利用したいというのが消費者の正直な気持ちであり、それを汲んで頂いてよりよいコンビニになって欲しいと切に願うものである(笑) って、コンビニ関係者がこれを見てると思えんが(爆)
   


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